ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

いまこそ、小日本主義!

 白井聡さんのニッポンの正体という番組を見た。タイトルは「いまこそ、小日本主義! 〜没後50年 蘇る石橋湛山の理想と哲学〜」とあった。石橋湛山(1884年明治17年〉生- 1973年〈昭和48年〉没)は日本のジャーナリストで、政治家で、教育者であった方である。戦前は、おもにジャーナリストとして活躍し、戦後は政治家として活躍し、様々な大臣の要職を歴任し、さらに第55代内閣総理大臣にも就任したが、残念なことに病気のため首相在任期間65日で辞任することになった方である。
 そしていま、戦後政治を振り返るときに、もし石橋内閣が2年存続できたならば、その後の岸内閣時代に直面した日中関係の断絶といった最悪の事態も回避されたであろうし、あるいは安保騒動も別の形態をとったであろうし、現実とは大きく異なった戦後が形成されたであろう。石橋内閣の短命化が戦後史の重要な屈折点であったと述べて石橋内閣の短命化を悔やむ人も多い。番組では、石橋湛山没後50年を迎えて、改めて石橋湛山の生き方を辿り、いまこそ日本人は石橋湛山から何を学ぶべきかという話がなされていた。

 石橋湛山は、1907年(明治40年)早稲田大学を卒業後、兵役を終え1911年(明治44年)東洋経済新報社に入社し、ジャーナリストとしてスタートした。そして、1921年(大正10年)「一切を棄つるの覚悟」と「大日本主義の幻想」を執筆して小日本主義を提唱した。
 小日本主義とは、軍閥政治に反対して立憲主義に徹することであり、帝国主義保護主義に対して、平和主義・自由主義に徹するということである。つまり、小日本主義とは、近隣諸国と近隣友好関係を樹立して平和な貿易立国を目指すということである。そのためには、すべての植民地放棄論つまり朝鮮、台湾、関東州(満洲国)の権益の放棄を提唱した。関東州放棄論の中身については、日露戦争後の権益の放棄及び大連、旅順などの遼東半島租借権の放棄、南満州鉄道(満鉄)経営権の放棄、安東奉天間鉄道経営権の放棄、鉱山採掘権の放棄、森林伐採権の放棄、自由往来居住権の放棄、商工業営業権の放棄、鉄道守備駐屯権放棄などあらゆる権利の放棄を主張していた。当時、日本は富国強兵政策を推し進め、日清戦争日露戦争第一次世界大戦への参戦などを経て、帝国主義国家として植民地獲得競争に明け暮れていた時代であった。軍隊が力を持ち、また日本も列強に劣らず、植民地を確保していくことしか生きる道はないと国民も信じて総力を上げて取り組んでいるときに「一切を棄つるの覚悟」と「大日本主義の幻想」を執筆して小日本主義を提唱したのである。まさに迫害を覚悟しての命懸けの執筆であった。その主張は、植民地経営における莫大な投資から得る利益は期待するほどにはなっていないことや、諸外国との通常貿易の割合が今も大きいということを踏まえ、植民地での反日感情の高まりや諸外国からの非難の高まりなどがさらに起こると日本の政策は窮地に陥るという緻密な計算の裏付けがなされたものであったが、当時の政権は言論弾圧することはあっても、その主張に耳を傾けることはなかった。また石橋湛山は、日中戦争、太平洋戦争については「日中戦争、太平洋戦争の限界、大東亜戦争共栄圏建設の限界、全体主義イデオロギーの限界」を執筆してジャーナリストとして戦争批判を続けた。

 そして昭和20年8月15日の敗戦を迎え、日本は全てを破壊され、灰燼に帰した国土を前に、多くの国民が意気消沈して悔悟する姿が見られる中、石橋湛山は「終戦の日を迎え、考えてみるに予はある意味に於いて、日本の発展のために、米英等とともに日本内部の逆悪と戦っていたのであった。今回の敗戦が何等予に悲しみをもたらさざる所以である」と日記に認め、東洋経済新報社の論説においては「更生日本の門出、前途は洋々たり。小日本主義という長年あたためてきた構想をようやく実現できる好機が到来した」と書いて発表した。

 そして、戦後は政界に進出して、大蔵大臣など要職を務めた。大蔵大臣在職中、アメリカ軍から経費負担を求められたとき、経費負担の中身についてアメリカ軍の遊興費が含まれているので承認できないとアメリカ軍予算を拒否したことから公職追放の処分を受け辞職した。4年余りの処分期間後に再度政界に復帰して第55代内閣総理大臣に就任したが、病気のために短命政権に終わったのは残念であった。しかし、その後もアメリ占領政策からの自立を目指し、対米自主独立のため、また日中関係の改善に尽力して、昭和48年享年88歳で亡くなられた。

かつて、石橋湛山は日本人について「実に、我が国今日の人心に深く食い入っている病弊は、利己につけても利他につけてもその他何事につけても浅薄弱小ということである。換言すれば我というものを忘れていることである。確信のないことである。迫力のないことである。右顧左眄することである」と述べている。
 番組の中で、白井聡さんは次のように語っていた。    現在、世界は混乱の様相を見せている。その混沌とした世界の中で日本は平和国家としていかにいきていくべきかを考える政治家が日本から出てこないのは、まさに石橋湛山がいうように、日本人の政治家が浅薄弱小で、我を忘れ、確信を持てず、迫力もなく、右顧左眄しているからであろう。つまり、日本人政治家に自立した我という存在でありたいという欲望が欠けているから、そのような問題意識さえ出てこないのではないか。今の総理大臣は同じ早稲田出身といえ月とすっぽんである。今の政界に、石橋湛山思想研究議員連盟という超党派の研究グループが誕生したと聞いている。一体このグループは何を目指すのかと問いたい。日本の課題は、独立国としてどのように立っていくのかいけるのか、植民地日本ではなく、独立国日本を確立するためにどうすべきかの道すじを示して欲しい。石橋湛山研究会の仕事はそれに尽きる。その覚悟と信念を持った政治勢力を政界再編して作って欲しい」と述べていた。私も白井聡さんに強く同意する。石橋湛山研究会は超党派で、植民地状態からの脱却を目指してもらいたいと切に願う。