ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

長崎空港へ見送りに行く

 長崎空港海上空港である。大村湾にある箕島を平たく開拓して、騒音公害などを考慮して造られた空港である。だから空港へのアクセスは箕島大橋の陸路と船による海路の二つがある。今日は箕島大橋を渡る陸路で空港に行った。

 娘が関東に住んでいる。その娘のところへ、連れ合いが遊びに行くので、長崎空港まで送って行った。今回の関東行きについて、私も一緒に行くことも考えたが、私は長崎でどうしても外せない用事があり、今回は、留守番することにした。連れ合いは2週間、娘のところに滞在しながら近辺の小旅行などを楽しむ予定らしい。早めに空港に着いたのでスタバでコーヒを飲みながら時間を過ごした。連れ合いは2週間の旅行を楽しそうに話していた。そして、不在中の唯一のお願いとして植物への水やりをお願いされた。出発の時間が来たので、出発ゲートまで見送り別れた。

 

空港から帰る途中、橋を渡り終えてすぐに公園の案内があり、公園に立ち寄ることにした。この森園公園は芝生広場があり、海岸にも降りて行けて、また先の方にはグランドもあるとても広い公園である。歩いて行くと木陰でレジャーシートを敷き昼寝している人もいた。のんびり過ごすにはいい場所らしい。

公園の一角に「天正遣欧少年使節顕彰之像」が建立されていた。案内には次のことが書かれていた。

 「天正遣欧少年使節は、日本で初めてキリスト教に改宗した大村の領主『大村純忠』らが、1582年にローマ教皇の元へ派遣した4人の少年です。彼らは日本から初めてヨーロッパを公式に訪問したことでも 知られています。この像は、彼らの出航から400周年を記念し、建てられました。
 少年たちは千々石ミゲル原マルチノ中浦ジュリアン伊東マンショの4人で、キリシタン大名大村純忠大友宗麟有馬晴信の代役 という形で派遣されました。

 目的は、大きく二つありました。1つ目は、日本の布教活動の成果を示すためにセミナリヨ(キリスト教の学校)の優秀な少年たちをローマ教皇に合わせ、日本での布教活動資金をお願いすること。2つ目は、少年たちをを優秀な宣教師として育てるために、ヨーロッパのキリスト教社会の素晴らしさを直接見せることでした。

 日本出発から2年5ヶ月でようやくヨーロッパに到着。ポルトガル 国王・スペイン国王に面会し、少年たちが行く先々で日本ブームが起こったと言われるほど熱烈な歓迎を受けました。ローマ教皇(グレゴリウス13世)に面会する時は、『帝王の間』に通され、国宝級の扱いを受け 、ローマの市民権 まで与えられました 。1590年(出発から8年5ヶ月)4少年はついに帰国を果たしましたが、4人を派遣したキリシタン大名のうち、大村純忠大友宗麟はすでに亡くなっており、日本はすでにキリスト教が禁止された後でした。4人はそれぞれ追放されたり、キリスト教信仰を辞めたり、処刑されるなど、苦難を強いられ、せっかく学んだキリスト教を満足に布教できないまま生涯を終えたのでした。

 しかし、少年たちは大きな功績を残しました。活版印刷機、西洋楽器など、ヨーロッパの進んだ技術や文明を持ち帰り、日本が海外と断交した(鎖国)後も、日本が広くヨーロッパに知られ続けた大きなきっかけを作ったのです」とあった。

今から400年以上前、日本からからヨーロッパに派遣された初めての使節がこの4人の少年で、信仰の自由が日本に定着するまでに、このような悲惨な苦悩の歴史があったことを忘れないようにしなければと思った。

 家に帰って、これから始まる2週間の一人暮らしを考えた。連れ合いは出かけるにあたってちり一つない状態にして出ていった。帰って来るまでこれを維持しなければならない。掃除、洗濯は何とかなるだろうと思う。今回、一人暮らしで一番心配なのは食事である。4年前、男性でも料理ができた方が楽しいだろう思い、男の料理教室に通った。通った後、料理を作っては試食してもらって、「上手にできている」と言われて喜んでいたが、料理に興味を持ったのはその時だけで、いつもの熱しやすく冷めやすい性格通り、その後は連れ合いに作ってもらって、当たり前のように過ごしてきた。朝食はパン食なのであまり不安に思わないが、夕食は、定刻に食卓に温かい食べ物が準備されている生活に慣れているので、それを自分で作らなければならないと考えるのは苦痛でもあるしできそうにない。

 今夜はマックにしようと思う。明日は松屋の牛丼、明後日はガストの肉料理、その次は回転寿司、その次はラーメン店というように、周りになんでもあるから餓死することはないが、健康にいい生活ができるかどうかは不安である。この年になっても一人で生きていくのが不安というのは、我ながら情けないと思う。