ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「戦後史の正体」を読む

この本の著者である孫崎享氏は長く外交官として活躍された方である。この本は、孫崎氏が外交の現場で体験した事実をもとに書かれたものである。戦後史を振り返ると、日本外交を動かしてきた最大の原動力は、米国から加えられる圧力と、それに対する自主路線派と追随路線派のせめぎ合いであったと書かれている。この本は、日本の戦後史を「自主派」と「対米追随派」のふたつの路線の戦いとして描かれたものであった。


「戦後史の正体」の中で孫崎氏は次のように語っている。
「戦後史の正体」を書いたことで、確認できた重要なポイントは次の3点である。
①  米国の対日政策は、あくまでも米国の利益のためにある。日本の利益と常に一致しているわけではない。
②  米国の対日政策は、米国の環境の変化によって大きく変わる。代表的なのは占領時代である。当初、米国は日本を二度と戦争のできない国にすることを目的に、きわめて懲罰的な政策を取った。しかし冷戦が起こると、日本を共産主義に対する防波堤にすることを考え、懲罰一辺倒の対策から優遇策を加味した対日政策に180度変化した。そしてソ連が崩壊し冷戦が終結した1992年、米国の対日政策は再び180度変化した。経済力を持った日本を米国の脅威と認識し、日本の弱体化を図った
③  米国は自分の利益に基づいて日本に様々な要求をする。それに立ち向かうのは大変なことであるが、冷戦期のように、米国の言うことを聞いていれば大丈夫だという時代はすでに30年前に終わっている。どんなに困難でも、日本のゆずれない国益については主張し、米国の理解を得る必要がある。

戦後の首相たちを「自主」と「対米追隋」という関連から分類すると以下の通りである。
自主派(積極的に国益に沿って現状を変えようと米国に働きかけた人たち)
重光葵(降伏直後の軍事植民地化政策を阻止。のちに米軍完全撤退案を米国に示す)
石橋湛山(敗戦直後、膨大な米軍駐留経費の削減を求める)
芦田均(米国に対し米軍の「常時駐留」案を廃止「有事駐留」案を示す)
岸信介(旧安保条約を改定。行政協定の見直しを試みる)
鳩山一郎(対米自主路線を唱える。米国が敵視するソ連との国交を回復を実現)
佐藤栄作(沖縄返還を実現)
田中角栄(米国の強い反対を押し切って、日中国交回復を実現)
福田赳夫(ASEANS外交を推進し、米国一辺倒でない外交を展開)
宮沢喜一(クリントン大統領に対して対等以上の態度で交渉)
細川護煕(日米同盟よりも多角的安全保障を重視)
鳩山由紀夫(普天間基地の県外、国外への移設と東アジア共同体を提唱)
鈴木善幸(米国の防衛費増額要請を拒否)
竹下登(安全保障面で米国による自衛隊の海外派遣要請を拒否)
橋本龍太郎(長野五輪中の米軍の武力行使自粛を要求)
福田康夫(アフガンへの自衛隊派遣要求を拒否)

 

対米追隋派(米国に従い、その信頼を得ることで国益を最大化しようとした人たち)
吉田茂(安全保障と経済の両面で、極めて強い対米従属路線をとる)
池田勇人(安保闘争以降、安全保障問題を封印、経済に特化)
三木武男(米国が嫌った田中角栄を裁判で有罪にするため、米国の意思に沿って行動)
中曽根康弘(安全保障面で日本は米国の不沈空母化。経済面ではプラザ合意円高基調の土台を作る)
小泉純一郎(安全保障では自衛隊の海外派遣承諾。経済では郵政民営化など制度の米国化推進)
海部俊樹小渕恵三森喜朗安倍晋三麻生太郎菅直人野田佳彦など全て対米追随派

こうした分類から見ると、長期政権となった吉田茂池田勇人中曽根康弘小泉純一郎の各首相は、いずれも「対米追随」のグループに属している。年代的に見ると1990年代以降、「自主派」は細川と鳩山という自民党から政権を奪ったふたりの首相だけで、しかもどちらも9ヶ月弱という、極めて短命な政権に終わっている。それ以前の歴史を見ても、いわゆる「自主派」と見られる首相は、だいたい米国の関与によって短期政権に終わっている。

 

自主派が短期政権で終わるのは、日本には占領期以降、日本社会の中に「自主派」の首相を引きずり下ろし、「対米追随派」にすげかえるためのシステムが埋め込まれているからである。そのシステムの一つは検察である。検察特捜部は米国の指導のもとに作られたといえるほど、創設当初から米国と密接な関係を維持してきた。次に報道である。米国は占領期から今日まで、日本の大手マスコミの中に、米国と特別な関係を持つ人びとを育成してきた。さらに外務省、防衛省法務省財務省、大学などのなかにも米国と特別な関係を持つ人びとが育成されている。そうしたシステムを使って、「自主派」の政治家を追い落とす仕組みができている。例えば、検察が事件をでっち上げ起訴し、マスコミが大々的に報道して政治生命を断つなどは常套手段の一つである。

石橋湛山は駐留経費を削減しようとしたことで排除された。政権を追われた後、彼は次のように語っている。「後に続いて出てくる大臣が、俺と同じような態度をとることだな。そうするとまた追放になるかもしれないが、まあ、それを2〜3年続ければアメリカ当局もいつかは反省するだろう。確かに、米国は本気になればいつでも日本の政権をつぶす事ができる。しかしその次に成立するのも、基本的には日本の民意を反映した政権である。だから、その次の政権と首相が、そこであきらめたり、おじけづいたり、自らの権力欲や功名心を優先させたりせず、また頑張ればいい。自分を選んでくれた国民のために」と語っている。

それを現実に実行した国がある。カナダの首相たちである。まず、カナダのピアソン首相が米国内でべトナム戦争反対の演説をして、翌日ジョンソン大統領に文字通りつるしあげられた。カナダは自国の10倍以上の国力を持つ米国と隣り合っており、米国から常に強い圧力をかけられている。しかし、カナダはピアソンの退任後も、歴代の首相たちが「米国に対し、毅然とものを言う伝統」を持ち続け、2003年には「国連安全保障理事会の承認がない」という全くの正論によって、イラク戦争への参加を拒否し、国民の多くがその決断を指示した。今、カナダ国際空港はトロント・ピアソン国際空港と呼ばれている。これは「強い米国と対峙していくことは厳しいことだ。しかし、それでもわれわれは毅然として生きていこう」というメッセージを国民と共有するために名付けられたと言われている。

「戦後史の正体」を読んで、外交の最前線で活躍した孫崎氏の話は説得力があった。正義の担い手である検察、社会の公器である報道という感覚を植え付けられた身からするとにわかに信じがたいことであるが、全編を読むとさまざまな暗躍があることが理解できた。これが日本の正体だと思った。先人である石橋湛山氏が言うように、日本もカナダみたいに毅然として生きたいと思う。