ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

塚本晋也監督「野火」を見た

 8月15日にネット番組を見ていたら、終戦記念日ということで、戦記文学と戦争映画特集をやっていた。その中で、塚本晋也監督の「野火」が話題になっていた。私はまだ見ていなかったのでその作品を見ることにした。映画「野火」は大岡昇平の同名小説を、塚本晋也監督が映画化したものである。塚本監督の「野火」は、極限の状況下での人間の姿を描き戦争の恐怖をあぶり出す物語である。製作当初から「毎年終戦記念日に上映されるような映画にしたい」という監督の思いに共感した劇場で、毎年アンコール上映が重ねられていて、本年(2023年)8月にも全国の劇場でアンコール上映されたようだ。

 ホームページには、塚本監督のコメントが掲載されてあった。
「9年目の「野火」になります。戦後70年の夏から毎年上映を続けることができたのは、理解を示してくださった多くの劇場さんと、見てくださる皆さまのおかげです。ウクライナの戦争が終わらず、世界の状況が底の抜けたように不安に満ち、何が正しいのかさえはっきり言えない世の中になってきたと言えます。そんな時にこそ、大岡昇平さんからのメッセージ、「野火」に立ち返ってみて欲しいです。戦争が始まれば、何が起こるのか。 人はどう変わってしまうのか。その上で様々な議論が展開されることを望んでおります。「野火」を今こそさらに多くの皆さんに観ていただきたいと思います」

「野火」のあらすじは次のとおりである。
舞台は第2次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島である。日本軍の敗戦が色濃くなった中、田村一等兵(塚本晋也)は結核を患い、戦力にならない兵隊として口減しのため、部隊を追い出されて野戦病院行きを命じられる。しかし、野戦病院は負傷兵だらけで少ない食料しか持ち合わせていない田村は早々に追い出され、再び戻った部隊からも「ノコノコ帰って来やがって」と復帰を拒否され、殴打された挙句、自決を勧められる。田村は行き場を失い、果てしない原野を一人彷徨うこととなった。空腹と孤独、そして容赦なく照りつける太陽の熱さと戦いながら彼が目撃したものは、想像を絶する地獄絵図であった。日本軍は敵の攻撃を受けて、総崩れとなり、野戦病院も砲撃を受け全滅し、全軍が陣地を捨ててジャングルに逃避した。田村も一人でジャングルを彷徨っている時、ジャングルの中で出会った3人の兵隊からパロンポン集合の命令を聞いて、3人に同行させてくれるようお願いした。一人の兵隊が言った「おめえ、病人だろう。ついて来られるのか?俺たちはニューギニアで人肉まで喰って苦労して来た兵隊だ。一緒に来るなら来てもいいが、まごまごすると喰っちまうぞ」彼らは声を出して笑ったが、同行する事を承知した。
 レイテ島の日本兵にパロンポン集合という命令が出されていた。パロンポンに行くにはゲリラがいる部落やアメリカ軍が制圧している地域を避けてジャングルを横断して行かねばならなかった。ジャングルの中の道にはどこにも多くの死体が転がっている。全て日本兵であり敗残兵である。食べるものもなく何日もジャングルを彷徨い、力尽きて倒れた兵隊である。死屍累々、多くが餓死、病死である。病気をしても負傷をしても治療を受けることはない。ただ、集合場所のパロンポンへ向かって歩き続けることしかない。それができなければそこで死を迎えるだけである。主要道路は米軍の戦車やトラックが兵隊を乗せて頻繁に通っていく。日中の行動はできない。夜陰に紛れて行動することになるが、突然煌々としたサーチライトを照射され、同時に機銃掃射の雨を浴びせられる。パロンポンへの全てのルートは昼も夜厳しく監視され、多くの日本兵がパロンポンへたどり着くことなく倒れていった。田村は、3人の仲間がどうなったかわからないまま、一人なんとか逃げ延びて、ジャングルの中へ逃げ戻り、倒れ込みそのまま疲れ果て意識を失ってしまう。ジャングルで意識を失っているところを昔の仲間に助けられて、彼らの根城につれて行かれる。昔の仲間は食糧も尽きて、今はジャングルの中で猿を取ってどうにか食い繋いでいるという事であった。雨の日は猟ができず、その時は干し肉が食糧として出された。少し元気になった田村が猟に同行したいと言っても仲間は同行を拒んだ。田村は一人でジャングルを歩いていて、屍臭が漂う場所に紛れ込み、そこで日本兵の死体を見つけた。あちこちに散乱する日本兵の死体はどれも臀部を抉り取られ、さらに手足をもがれた死体が転がっていた。安田が猿を獲ったと言って持ち帰っていた肉は日本兵の肉だったのだ。

私は野火を見ながら、悲惨な状況に何度も目を背けた。映画は残酷と思うくらい事実を表現している。私たち人間は、戦争になると、死んだ同僚の肉を空腹のために喰らい、その血を吸うこともするのだ。いや空腹のために、同僚の死を待ち望むのだ。いや、空腹のために同僚から殺される前に同僚を殺すのだ。そのような極限状態も戦争は簡単に飛び越えてしまう。78回目の終戦記念日を迎えて、いよいよ戦争体験者は少なくなってきた。私たちは戦争体験者から悲惨な戦争体験を聞き、二度と戦争してはいけないと学んできた。しかし、もうそのような話をしてくれる人はいなくなった。その貴重な体験を私たちはこの映画を通して次の世代に伝えなければと思う。二度と戦争はしないという事を忘れないためにも、終戦記念日にこの映画を見続けて行かねばならないと思う。
「戦争を知らない人間は、半分は子供である」この言葉は原作者の大岡昇平が作品の中で田村に言わせた言葉である。戦争を絶対に二度としないために、戦記文学や戦争映画を通して戦争を知った大人を作り続ける必要がある。