ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「リベラル保守宣言」を読む

中島岳志さんの「リベラル保守宣言」を読んだ。著書の中に「貧困問題とコミュニティー」という一章があり、そこでは秋葉原事件を題材に扱っていた。以下に著書を引用する。


「2008年6月、秋葉原で無差別殺傷事件が起こった。犯人は当時25歳の加藤智大である。彼は派遣労働者となって静岡県裾野市の自動車整備工場で働いていた。2008年は世界的不況で、加藤が勤めていた工場でも生産調整が行われ、派遣労働者の大量解雇が断行された。加藤は当初、解雇のリストに入っていたが、会社の都合で目先のリストラからは外された。その時、次のように書いている。「ああ、そういえば、クビ延期だって。別に俺が必要なんじゃなくて、新しい人がいないからとりあえず延期なんだって」彼はここで自己の代替可能性に言及している。自分が必要なのではなく、とりあえずの人数が足りなくなるからクビは延期。そんな「付け替え可能性」を会社から突きつけられ、苛立っていた。彼は事件の3日前に、出勤直後の控え室で「俺の作業着がない」といって暴れ、無断退社した。それ以降、彼は出社せず、やがて秋葉原で事件を起こすことになるのだが、その夜、彼は携帯電話の掲示板サイトに次のように書いた。「それでも、人が足りないから来いと電話が来る。俺が必要だから、じゃなくて、人が足りないから。誰が行くかよ。誰でもできる簡単な仕事だよ」派遣労働を続けながら、彼が失ってしまったのは、自己の存在価値である。もちろん事故を起こした責任は全面的に彼が負うべきである。彼の犯した罪を容認することなど断じてできない。しかし、彼のように自己の存在価値を失ってしまう人間が生まれる社会的背景も、我々は検討しておかなければならない。ここには現代人の我々にとって見逃すことができない問題が存在する。


 彼の生まれ故郷は青森である。しかし、青森では両親が離婚し、一家がバラバラの状態であった。彼には帰る家がなく、彼を待つ人もいなかった。かつての日本にも貧困問題は存在した。彼が生まれ育った青森からは、集団就職で東京に出たり、出稼ぎで厳しい労働環境の中、体を酷使して働いた労働者が大勢いた。彼らの過酷な日々は、労働条件だけに注目すると、今よりもずっと大変だった可能性が高い。しかし、彼らは自らが働くことの意味をしっかりと認識することができた。ふるさとに仕送りをし、少しでも両親・家族に楽をさせたいという思いを持ちながら、仕事をすることができた。自分が家族やコミュニティの中で重要な役割を果たし、かけがえのない存在として生きているという実感を持つことができた。

 現在の派遣労働を巡る社会のあり方は、そのような有機性を失っており、個人から役割原理を奪っている。日雇い労働に従事する派遣労働者の多くは、毎日インターネットカフェで寝泊まりし、携帯電話に届く情報をチェックして、翌日の労働を確保する。現場に行くと知らない人ばかりなので、1日ほとんど会話もせず働き 、また ネットカフェに帰る。そして、翌日もまた別の場所で知らない人ばかりと仕事をする。誰も「彼」や「彼女」を必要としてしている人はおらず、居場所となる共同体も存在しない。そんな中で、自己のアイデンティティを保つことなどできるわけがない。私たち人間は、特定のコミュニティーの中で一定の役割を演じることで、自分が社会的に意味ある存在であるという認識を持つ。人と人との紐帯を回復しなければ、個々人が自己喪失してしまう。そして、それが広がると日本社会は崩壊してしまう。

 バブル経済崩壊から数年後の1995年、日本は新自由主義というさらなる破壊の方向へとつき進んだ。この年、日経連は、労働者を「長期蓄積能力活用型」「高度専門能力活用型」「雇用柔軟型」の3つに分けるべきだとする提言を行なった。つまり、幹部候補生となる正社員と高度な技術を持つスペシャリスト 、そしていつでも 柔軟に首を切ることができる非正規雇用に分けて、不況を乗り切ろうと考えた。「雇用柔軟型」という概念は、派遣労働という形態を拡大させ、多くの若者が不安定な労働市場で買い叩かれることとなった。彼らは代替可能なパーツとして扱われた。いつでも誰とでも付け替え可能な存在として利用され、十分な保証がない環境で働かされた。派遣労働は人間として必要な、自己の存在根拠となる場所(トポス)を決定的に奪った。その代わりに大人たちは彼らを「フリーター」と名付け、新しい時代の自由なライフスタイルを実現する新時代の若者として称揚した。政治家は規制緩和を加速させ、「日本社会の抜本的改革が必要」と叫び、社会基盤を破壊していった。社会には必然的に格差が広がり、2000年代にはついに貧困問題が顕在化した。無縁社会の中で孤立し、絆を失った若者は、極度の「生きづらさ」を抱え込んでいった。

 2000年代半ば頃から、若者たちは、自らの「生きづらさ」が新自由主義的社会構造の中で強いられたものであると告発し、新しい抵抗運動を展開した。そんな中、赤城智弘は「31歳フリーター 。希望は戦争。」と題した 論考を発表した。彼は、使い捨ての労働者として扱われ続ける人生に屈辱感を抱き、何とかして正社員並みの生活を得たいと願った。しかし、30代 フリーターの彼に、そんなチャンスがやってくるはずがない。彼の給料は、永遠に時給数百円。そんな状況で結婚し、幸せな家庭を築くことなど不可能に近く、壮大な夢どころか、ささやかな夢さえかなう見込みはない。彼は言った。だったら戦争が起こってほしい 、と。このままでは、自分は永遠に正社員たちの生活に追いつくことができず、屈辱的な毎日が続くだけだ。いっそのこと戦争によって日常の構造が崩壊し、みんなが戦場で一兵士として命をかける「負の平等」が成立してほしい 。ささやかな幸せすら構造的に奪われた屈辱的人生が続くのならば、もはや希望を戦争に求めるしかない。赤木は、閉塞的な社会の「ガラガラポン」を夢想し、その手段として強大な暴力を希求した。
 そして、このような不幸感と「生きづらさ」は具体的な暴力となって社会を襲った。
 2008年、秋葉原で無差別殺傷事件を起こした加藤智大の動機の中心には、鬱屈を満たされない承認欲求が存在した。事件は連鎖し、各地で同様の無差別殺傷事件が起こった。加藤への共感を示す若者も大量に出現した」と書かれていた。

2008年に起こった秋葉原事件について、私たち日本社会は解決策を見出したであろうか。人間を代替可能なパーツとして扱い、存在価値を喪失させるシステムは改善されただろうか。いや、何も解決策を見出すことなく、全て自己責任という言葉で処理して、解決策など見つけようともせず現在に至っているように思う。そして、今も無敵の人をたくさん産み続けているのではないだろうか。電車内無差別殺傷事件、ブラックバイトに応募する若者の出現は何も問題は解決されていないことを示しているように思う。今では、労働者の4割以上が非正規であり、派遣である。この問題を放置することは、日本破綻を進めていることと同じである。政治で壊された社会は政治で作り直すしかない。政治を変えなければと思う。