ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「水辺の森」と「東山手」を散歩する

青点をスタートして矢印方向に進み青点に戻るコース。距離5.52km、最低高度2m、最高高度66m、総上昇高度115m、天気曇り時々晴れ、気温23度、湿度72%

気候が良いので散歩に行くことにした。今日の散歩コースは、私が一番好きな散歩コースである水辺の森公園と東山手である。

 

長崎港松が枝国際ターミナル駐車場に車を駐めて散歩を開始する。最初の目的地は水辺の森公園である。松が枝国際埠頭に停泊中の観光船は、今日はいないが、今週は4隻入港予定になっているようだ。国際観光船の寄港が少しづつ増えて、以前の賑わいが戻ってきているのは嬉しい。

 

駐車場から大浦海岸通りを通って水辺の森公園へ向かっていると、右手に石造りの重厚な建物が見えてきた。旧香港上海銀行長崎支店である。ここ大浦海岸通りは旧外国人居留地で、江戸時代末期から海岸通りには銀行やホテルが立ち並んでいた場所である。これは当時の面影を残す建物である。

また、左手には三人像が置かれている。説明文には次のように書かれていた「中国民主革命の偉大な先駆者である孫文先生の革命の生涯において、梅屋庄吉先生とトク夫人は一貫して見返りを求めることなく莫大な支援を行った。孫文先生と梅屋夫妻の友情と中日友好への多大な貢献を称え、梅屋夫妻の故郷である長崎県に三人像を寄贈し、もって中日両国国民の友情の証とし、両国国民の世世代代の友好を祈念します。中華人民共和国国務院

 

水辺の森公園は、長崎港周辺の再開発事業の一環として港内を埋め立てて造成された市民の憩いの場所である。大きく分けて「大地の広場」、「水の庭園」、「水辺のプロムナード」の三つのブロックで構成されている。今日は「水辺のプロムナード」を楽しむことにした。

 

水辺の森公園内は運河が作られている。「水辺のプロムナード」はその運河沿いの散歩を楽しむコースである。公園内の運河の水量は潮の干満によって上下するが、干潮になっても運河の水は満々と水を保つ仕組けになっている。運河沿いの散歩は気持ちがいい。歩き疲れたら運河沿いの木陰に設けられたベンチに腰掛けて運河を眺めるのもいい。「水辺のプロムナード」はいつ来ても楽しい。一年中楽しめる散歩道である。

 

水辺の森公園から次の目的地の東山手へ行く途中に「鉄道発祥の地」という石碑を見た。案内文には次のように書かれている。「慶応元年(1865)、英国人貿易商トーマス・グラバーは、この地にレールを敷いて英国製蒸気機関車を走らせた。この運転は営業運転ではなかったが蒸気機関車の運行としては日本で最初のものであった」と書かれている。ここ大浦海岸通りが日本で最初に鉄道が走った場所らしい。

 

安政5年(1858)、5カ国修交通商条約により、東山手、南山手、大浦界隈に広大な外国人の居住区域が造られた。これが外国人居留地である。東山手は最初に造成された居留地で、領事館や教会、ミッションスクールなどが建てられた。居留地時代、外国人がよく歩いた石畳の道をオランダ坂と呼んでいた。長崎人の私は、石畳の道を歩くと何となく気持ちが落ち着く。長崎に長く住むと石畳が恋しく感じられる。

 

左:東山手十二番館   中:東山手十三番館   右:旧斎藤邸

 

東山手には今も洋館がいくつか残されている。東山手十二番館明治元年(1868)建設でロシア領事館やアメリカ領事館として使用された。東山手十三番館は明治30年(1897)建設でフランス領事私邸であった。旧斎藤邸は明治35年(1902)に建築されている。洋館を眺めながら散歩するとタイムスリップしたような感じでこれもまた楽しい。

 

東山手から南山手へ回って出発点へ戻ろうと思うが、そのためには300段ほど階段を上らなければならない。しかし、グラバースカイロードを利用すると階段を上る必要はない。グラバースカイロードとは、日本で初めて道路として造られた斜行エレベーターである。傾斜角度31度で高低差50mを一気に上っていく。

 

斜行エレベーターをおりて振り返ると、山の頂上までびっしりと張り付いた家、家、家を見る。この景色が長崎の特徴である。この坂の町ならではの光景を長崎の版画家・田川憲氏は「人間の丘」と呼んだ。

 

斜行エレベーターを下りてしばらく行くと南山手レストハウスに着く。南山手レストハウスは慶応元年(1865)頃建築された古い建物である。今は、町歩きの休憩所として活用されている。ここの庭のベンチに座って「人間の丘」を見る時間が私は好きだ。

 

大浦天主堂の路地裏に「祈念坂」と呼ばれる小道の坂がある。遠藤周作氏は長崎に来たときは朝夕ここを散歩するのが日課となっていたと記している。南山手レストハウスから大浦天主堂へ向かうとこの祈念坂を通る。

祈念坂を下りてくると、「祈りの三角ゾーン」に着く。この場所は大浦天主堂妙行寺、大浦諏訪神社という、教会、寺、神社が接する長崎ならではのポイントで、長崎では「祈りの三角ゾーン」と呼ばれている。


「祈りの三角ゾーン」を過ぎて、しばらく進むと大浦天主堂に着く。大浦天主堂は200年以上の時を超えて、潜伏していた隠れキリシタンとの出会いである信徒発見の舞台となった場所である。因みに、大浦天主堂の正式名称は「日本二十六聖殉教者天主堂」である。大浦天主堂は二十六聖人が処刑された西坂の丘に向かって建立されている。

私にとって、今日の散歩道が一番好きな散歩道である。水辺の森の運河の散歩、東山手の石畳の散歩、南山手の人間の丘を見る散歩、どれも私にとって長崎らしさを感じられるのがよい。秋はもちろん良いが、今度は季節を変えて楽しもうと思う。