ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「Thinking Baseball」を読む

 今年の夏の全国高校野球は、慶応(神奈川)が仙台育英(宮城)を8―2で破り、「慶応普通部」として出場した1916(大正5)年の第2回大会以来、107年ぶり2回目の優勝を果たしたことで大きな話題になった。その慶應高校野球部監督の森林氏の著書である「Thinkinng Baseball」を図書館で見つけたので早速読んでみた。監督として、教師として、高校野球をもっと魅力あるものにしていきたいという思いに満ちている本であった。

 本をパラパラとめくっていて、「ちわ!」「した!」禁止というページを見つけた。これは何だろうと思ってそのページから読んで見た。「ちわ!」「した!」は「こんにちは」「ありがとうございました」のあいさつのことばを省略したもので、高校野球部の生徒がよく使う野球部の挨拶のことばらしい。一列に整列して大きく頭を下げて大きな声で「した!」というと「ありがとうございました」に聞こえるらしい。慶應高校野球部は「ちわ!」「した!」を厳しく禁止しているということであった。なぜ禁止しているかというと、高校は生徒が社会に出ていくための準備期間であり、高校野球も同じである。「ちわ!」「した!」などは高校野球では通用するが、そのような日本語は社会に出て通用しない。正しくは「こんにちは」「ありがとうございました」「失礼します」というのが当然で、社会の常識として通用しないものは使わせないということであった。「選手は野球に頑張っているのだから、細かいことにとらわれず、野球だけをやらせておけば良いという考え方もあるが、それは根本的に間違っています。高校卒業後に野球から離れる選手も少なくありません。18歳までに身につけられるものは正しく伝えることが大切です。高校を卒業すると、より厳しい誰も守ってくれない世界へと足を踏み入れ、自分の力で道を切り開いていかなければならないのだから、可能な限りその準備をしてあげることが指導者の役割です」高校野球部監督として森林監督が掲げている方針は、この当たり前のことを当たり前として行うということであった。

 森林監督は、旧態の高校野球からの脱却を目指している監督である。高校野球はシンプルに言えば、高校生がただ野球をやっているだけだが、真夏の風物詩でもはや非常に巨大なエンターテイメントとなっている。新たなヒーローの出現や感動的なゲームを望むフアンがいて、またそれを売り込んでいこうとするメディアの存在もある。そこで過剰に膨らまされたドラマに、それを望むフアンが喜んで食いつく。こうした土壌が高校野球にはある。
 高校野球は高校スポーツの中でもずば抜けて国民の注目度の高いスポーツで、甲子園は連日テレビ放送される。全国の高校野球部は甲子園での全国優勝を目指して努力している。全国優勝という目標に向けて切磋琢磨していく中で成長していくということもあるが、目標を目指していく中で、勝ちにこだわり過ぎて、次のような生徒自身を犠牲にしていることはないかと考える。

 「野球部監督は優勝を目指し選手を鍛え抜く。高校生が野球部に入部して活動できるのは実質2年半である。その2年半で選手を鍛えるために、選手を全員、寮に入れて早朝から夜間まで野球に専念させる。全員坊主頭にして野球以外のことは考える余地さえないほど徹底的に管理して練習に没頭させる。2年半という短い期間に結果を出すために、すべての練習メニューは監督の指示によって行われる。時間がないという理由で、上からの押し付け指導になっていることはないか」

 高校野球は誰のものかと考えた場合、当然「生徒のもの」である。「生徒のもの」ということは生徒一人一人を大切にすることである。生徒が楽しんで野球に取り組んでいるのかが一番問題である。楽しんでやる野球と最初は好きでやっていたのにいつの間にか優勝のため仕方なくやっているのでは全く違う。慶應高校野球部には約100人の部員がいる。慶應高校野球部は寮がない。全員自宅からの通学生である。さらに練習時間は制限が設けられてある。様々な制約がある中でどのように選手を育てているかというと、基本的な考え方は、独立自尊である。練習メニューは監督が決めるのではなく、生徒が決める。監督が決めれば早いけど、選手の自主性が育たないということから、生徒が自分で考えて自分で練習メニューを決めるという方針である。
 2年半という短い期間しかない高校野球にとって、選手に考えさせることはかなり遠回りな作業である。しかし、チームというのは本来、選手と一緒に作っていくもので、選手の意見に耳を傾け、議論を戦わせることも必要であり、高校生時代に考える力を養うことはとても重要ですと森林監督は語っている。

 慶應高校野球部は伝統的に監督のことをさん付けで呼ぶ伝統があるそうだ。だから、生徒は監督を「森林監督」と呼ぶのではなく「森林さん」と呼ぶ。そこには上下関係はなく野球を通じて学ぶ仲間とか、少し上の先輩と受け止めをしているようだと書かれていた。

 この本は、今年の夏の大会で優勝したあとに書かれたものではない。2020年に発行されたものである。著書の中で、森林監督は頂上への道は一つだけではない。いろんな道がある。自分にあった道をそれぞれが進めば良い。たくさんの負け試合から監督である私も選手も多くのものを学んできたと書かれていた。負け試合を含め、監督と選手みんなが考える野球をしながら成長していった先にたどり着いたのが今年の夏の甲子園であったようだ。今後の更なる活躍を期待したい。