ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「living 」を見る

 英国のノーベル賞作家、カズオ・イシグロ氏が脚本を担当した「Living」を見た。主演を務めたイギリスの名優、ビル・ナイが抑制の効いた味わい深い演技を見せていた。
ストーリーを簡単に言うと、「1953年、第二次世界大戦後のロンドン。仕事一筋に生きてきた公務員・ウィリアムズは、医者からがんであることを告げられ余命半年だと知る。そんななか、かつての部下・マーガレットと再会したことをきっかけに、彼は新しい一歩を踏み出すことを決意する」という映画であった。

 定年を間近に控えた市役所の公園課長を務めるウイリアムズは、がん検診で余命6ヶ月と宣告された。ウイリアムズは奥さんを早く亡くして、今は息子夫婦と同居している。息子夫婦にこのことを話そうと思ったが、息子夫婦が幸せにしているのを見て話すことを躊躇する。
 ウイリアムズは役所に勤めて以来、仕事一筋でやってきた。若い時は何かをやりとげようと思っていたわけではないが、その当時の大人を見て、自分も本当の紳士になろうと思い情熱を持って社会人をスタートした。しかし、毎日毎日、同じ仕事を続けていくうちに仕事に対する情熱を失い、躍動感が失われて、いつのまにかゾンビみたいな人間になっていった。ただただ、間違いを起こさないという思いだけで仕事を続けてきた。ウイリアムズは自分にも部下にも間違いを起こさないことだけを求めた。ウイリアムズの部署は息が詰まるような緊張感に包まれていた。課員は上司であるウイリアムズの方針に沿って無駄口を叩くこともせず、笑みを殺して仕事をした。ウイリアムズはある意味鉄壁な完全主義者であった。毎日、同じ時間の列車で登庁し、定刻に同じ時間の列車で退庁する。間違いが起こることは耐えられないことであった。毎日、同じように仕事をして、できるだけ変化を避け、面倒なことはいつも後回しにして、それでも解決しない時は他の部署へ回す。とにかく余計な責任を取らない、取らされないようにやってきた。真面目に時間通りにそして大過なく過ごすことが一番で合った。ウイリアムズは長い役所勤めでそのような生き方をしてゾンビのように生きてきた。
 
 そして、突然、あなたの余命は6ヶ月ですと宣告された。ウイリアムズは、自分の人生は何だったのだろうと考えた。自分は幼い時の楽しい思い出はいっぱいある。しかし、社会人になって人生を楽しんだことはない。人生が楽しいと思えたことはない。人生を楽しむとはどういうことだろう。人間として生まれてきて楽しい人生を知らないまま逝くのは嫌だ。残りの人生は自分の楽しみのために使おうと思った。銀行からお金を下ろし、お金を持って夜の街へ出かけていった。夜の街で散財して楽しみを得ようとした。飲み打つ買うをやりながら楽しみを得ようとしたが、一生懸命楽しみを求めても何も楽しくなれなかった。

自分の人生を見つめ直している時に、役所に一時期滞在していたかつての部下のマーガレットと再会した。役場にいる時、彼女はいつも朗らかで楽しくしていた。彼女の周りにはいつもにこやかな雰囲気があった。ウイリアムズは彼女が退職したいと言ってきた時に、「君は役所に合わない。君にふさわしい職場を探したほうがいいだろう」と言って退職を許可した。その彼女と出会って考えた。あの時、彼女が来てから職場が変わった。最初は、彼女は役所に向かないと思った。しかし、今考えると、彼女の良さがわかってきた。若いだけでなくて、彼女は人生への情熱がある。つまらん職場さえも楽しくする才能がある。彼女を見ろ、彼女はいつも輝いている。私も1日でもあんなふうに生きたいと思う。ウイリアムズは知りたいと思った。どうやったらマーガレットのようになれるのか?ゾンビのように人生を終わりたくない。生きることなく人生を終えたくないと思った。

 残りの人生を、一隅を照らすことに邁進してウイリアムズは逝った。ウイリアムズは生きることとは輝くこととマーガレットから学んだ。ウイリアムズは残された時間で残された課題に取り組み、彼らしい輝きを取り戻して逝った。

 残された時間が少ない私にとって身につまされる映画であった。私もゾンビみたいに生きていないか心配になる。私もウイリアムズと同じように、生きることなく人生を終えたくないと思う。最後まで輝いて逝きたいと思う。