ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「主権者のいない国」を読む (2)

「主権者のいない国」の中に「原爆と国体」という1章があった。長崎に住む私にとって原爆は身近である。この章を読んで学ぶことも多くあった。以下に一部を引用する

 「2016年の米オバマ大統領の広島訪問は「奇妙さ」だけが目立った。オバマ演説の中では、誰が原爆を投下したのか、その主体は曖昧化された。日本側は、その主体であるアメリカに謝罪を一切求めず、戦後の日米蜜月だけがひたすらアピールされた。この式典を貫いた奇妙さは『戦後の国体』という視角から見てみると、明白な意味を帯びてくる。
 国体とは何か。戦前においては、言うまでもなくそれは天皇ファシズム体制の基礎であった。しかし、敗戦後、アメリカは脱ファッショ化を図る一方、天皇制を維持・利用しながら占領を行った。その結果生み出されたのは、象徴天皇制のみではない。従来の天皇制の社会構造はそのままに、天皇に代わってアメリカが君臨するという『戦後の国体』と呼ぶべき体制が生み出された。
 これはアメリカが単独で編み出したものではない。日本側の旧ファシスト勢力は、占領者のご機嫌を取り結び 、親米保守派へと生まれ変わって、戦後生き永らえた。国体の頂点が、このようにして『菊から星条旗』へと移行した。
 では、『戦後の国体』の形成において、アメリカによる原爆の投下はいかなる役割を果たしたのか。歴史研究が進んだ今日、原爆投下の最大の動機がソ連に対する 牽制であったことは大方証明されたと言える。原爆の実験成功の報を受けたトルーマン大統領は『できると分かっていれば、スターリンに借りを作らずに済んだものを』と口走ったという。
 借りとは、前任者ルーズベルトヤルタ会談において、千島列島などの領有の容認と引き換えにソ連から対日参戦の密約を得たことを示す。つまり、東西対立構造が終戦前に早くも立ち上がる中で、戦後日本に対するソ連の影響力を極小化することこそが、アメリカの原爆使用の最大の動機であった。
 このことは実際に大きな政治的効果をもたらした。原爆投下の直後に日本が降伏したことにより、アメリカは事実上の単独占領を実現し、戦後日本の設計においてほぼフリーハンドに近い権限を手にすることとなった。そして、いわゆる終戦直後にアメリカが主導した日本の民主化は共産勢力などの拡大につながることを恐れたために、『逆コース』政策への転換移行、アメリカの占領政策は、日本の反共主義国家化を最優先課題に定め、親ソ連勢力の追放と旧ファシスト勢力の復権が実行された。
 かくて、国を破滅させた責任を本来問われるべき旧ファシスト勢力は、親米保守派へと転身して支配者の座に戻ったのである。現在でもその末裔が権力の中枢を掌握して『戦後の国体』を護持し続けている。
 この勢力にとって、原爆投下はいかなる意味を持ったのか。振り返れば。それはまさに『天佑』であった。なぜなら、アメリカが戦後日本のあり方をほぼ単独で左右する地位に立ったことによって、彼らは首がつながったところか、復権を果たすことができたのだから。その意味で、原爆投下は『戦後の国体』の形成の原点に位置している。
 してみれば親米保守派にとって原爆投下は痛恨事でも何でもない。それはむしろ『感謝』の対象だった。核兵器禁止条約の国連での採択と、核兵器廃止運動の国際的高まりに対して無視を決め込む安倍晋三首相に向かって 、長崎の被爆者は『あなたはどこの国の総理ですか』と迫ったが、親米保守派が広島・長崎の期待にそもそも答えられるわけがない。だから彼らがホスト役を務めたオバマ氏の広島訪問も茶番であるほかなかった。広島・長崎の苦悩、そして原爆の真実を伝えるために払われてきた努力の大きさを思うとき、私はこの政治の現状との落差に眩暈を覚える。この眩暈すら 意識されなくなるとき、私たちに残るのはただ恥辱だけであろう。」

この章をよみながら、日本の国体が敗戦によって、天皇ファシスト国家体制から、天皇制擬似民主主義国家になった経緯を理解することができた。昔は天皇が絶対であったが、戦後天皇制を維持しながら実質は「菊から星条旗」という言葉が示すように支配者は天皇ではなくアメリカに変わったということである。さらに、戦後のアメリカの対ソ連戦略に基づき、日本の民主化政策は中断され、いわゆる『逆コース』を歩み出したこともよくわかった。それに伴って日本の旧ファシスト勢力が復権して、現在に至るまで親米保守派として日本の支配者層に位置していることなど理解できた。日本の現状を明確に理解する上で大変参考になった。支配者層は常に国民に生き方を指し示す。昔は、天皇のために命を捨てよといった。そして今は、集団的自衛権を声高に叫び、戦争する仲間を助けよという。仲間とはもちろんアメリカである。これは、アメリカのために命を捨てよと言ってることと同じである。間違いなく「菊から星条旗」に変わっただけで、国民が命を差し出すのは昔も今も変わっていない。私たちは、戦前から何も成長していないのだと改めて思った。