ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「安楽死が合法の国で起こっていること」を読む

 私は、尊厳死安楽死について、これまで特別考えたことはなかった。この本を読むに当たって、日本人の意識はどういうものかという疑問を感じネットで調べてみた。NHK放送文化研究所が2014年に実施した日本人の「生命倫理に関する意識調査」では、尊厳死について『認められる」が2002年の80%から84%になった。安楽死については2002年の70%から73%となったという結果がでていた。尊厳死安楽死について日本人は肯定的に考えている人が多いと思いながらこの本を読み始めたが、著者の児玉真美氏は安楽死が合法化されている国で起きていることを明らかにしながら、安楽死について警鐘を鳴らしていた。

 児玉氏は、話を進める前に「尊厳死」、「安楽死」、「医師幇助自殺」のそれぞれの文言の意味について説明を行なっていた。それを引用する。
 「日本における『尊厳死』とは、終末期の人にそれをやらなければ死に至ることが予想される治療や措置を、患者本人がそれを知った上で中止することによって、患者を死なせることを指す。例えば 人工呼吸器や胃瘻などの経管栄養、また人工透析などの中止などである。それに対して『安楽死』は医師が薬物を注射して患者を死なせることを言う。同じ『死なせる』でも両者の内実は異なっている。前者は、やらなければ死が予想される状態で治療しないことなので、『死ぬに任せる』という言い方をすることもある。後者は医者が死なせる意図を持って 薬物を注射するのだから、こちらは直接的に死に至る行為を医師が行うことであり、つまりは『殺す』ことを意味する。
 このように医師が直接に死を引き起こす行為をするかしないかの違いによって、尊厳死を『消極的安楽死』、安楽死を『積極的安楽死』と分類することもある。その意味ではどちらも広義には安楽死であると考えることもできるが、実態として、日本では消極的安楽死と呼ばれる『尊厳死』は 現在の終末期医療においてすでに選択肢の一つとされ、日常的に行われている。一方、積極的安楽死と言われる『安楽死』は 現在の日本では違法である。

 もう一つ、日本ではほとんど 区別されることなく『安楽死』と称されがちなのが『医師幇助自殺』である。例えば、自殺目的で使用することを前提に医師が処方した薬物を患者自身が飲んで死ぬことなどである。・・・中略・・・『海外では合法化されているから日本でも安楽死の合法化を』と主張する人を見かけるが、全てが合法という国ばかりではない。『医師幇助自殺』のみを合法とし『積極的安楽死』はなお違法という国や州もある。

 また、安楽死が合法化されている国においては、制度としていくつか共通した前提がある。まず、意思決定能力のある本人の自由な意思決定によること。次に、所定の手続きを踏み、所定の基準を満たしたとして承認された人だけに行われること。そして、所定の手順に沿って医療職から提供される手段によることの3点である。例えば、『障害のある人が家族や社会の負担になっているから日本でも安楽死制度が必要』などと安直なものの言い方をする人が日本ではいるが、家族や社会の負担になることを理由に、障害の有無や程度を基準にして人を選別し、本人以外の意思によって積極的安楽死で合法的に人を殺害すること認める制度は現在、地球上のどこにも存在しない。人類史上、そうした制度を作って合法的に多くの障害者を殺害したのはナチスのみである」と書かれていた。

 安楽死は、1995年に米国オレゴン州、2001年にオランダ、2002年にベルギーで合法化された。合法化された当初、安楽死はもはや救命が叶わない患者に対し、どうしても緩和不能な耐えがたい苦痛がある場合の最後の例外的な救済措置という捉え方がされていた。しかも進んで合法化したというよりも、一定の条件によって際どい行為をする医師を免責し、「非犯罪化」したのが発端である。ところが、安楽死が地球上に増えていくにつれて、だんだんと安楽死は例外的措置とはみなされなくなり、そして今、いろんな問題が発生している。
 例えば、安楽死と緩和ケアは明確に区別すべきものであるが、安楽死が合法化されると、安楽死が緩和ケアと混合されたり、緩和ケアの一旦と捉えられていく事例が多く発生している。安楽死が緩和ケアの医療サービスと化した現場では、患者の「死にたい」という言葉は即座に額面通りに受け止められ、医療職はその「意思決定」を「誤った義務感」から実行する。「患者が安楽死を希望するならすぐに申請機関に紹介します。それが私の役目です」「安楽死は法律で容認されているんだから、私に拒む理由はありません。患者優先です」と平然と医者は言う。
さらに、法律では医療サイドから安楽死を持ち出すことは禁じられているにもかかわらず、苦しんでいる患者に対して、「あなたの癌は末期だし、安楽死も悪くないかもしれませんね」と言い、また、慢性的なうつ病を患っている患者に対し看護師が「ご存知ですか 安楽死の申請ができますけど」と言うなど、無邪気な善意から安直に安楽死を提案したり、積極的な情報提供で誘導したりするなど、医療職から効率的かつ非合法に安楽死が提案されるようになったと書かれていた。

また、国家の意思として、あるいは社会の総意として医療に「殺す」行為を認め、委ねるということについて考える際に知っておきたいことがある。人類の歴史には、政治権力と医療とが手を結んで起こしてきた数々の人権侵害の事実がある。ナチスの障害者抹殺計画では国の合法的な施策として、医療職が障害のある人を選別し、抹殺した。「退院の見込みがあるか」「労働者として使えるか」「生きるに値する命か」「生きるに値しない命か」などの指標によって選別され20万人以上が殺害されたと書かれていた。
安楽死は医療者に「殺す」行為をやらせることである。人類はそのことで黒い歴史を作った過去がある。安楽死は、命の選別と切り捨てへの政治の道具に使われやすいことを考えると、安易に考えることはできないと思った。