ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

学徒出陣から80年

 昨年は、太平洋戦争中の学徒出陣から80年にあたり、日本戦没学生記念会(わだつみ会)が2023年12月16日、東京文京区で「不戦のつどい」を開催し、「わだつみ会は戦没学生の自由と平和への遺念を引き継ぎ『新しい戦前』と言われる軍備強化に反対します。いかなることがあろうと『絶対不戦』の立場に立ち『不戦の意思』を守り抜くことを訴えます」という声明を発表したという記事を雑誌で見た。

 合わせて、その記事の中で、同会理事の安川寿之輔名古屋大学名誉教授が「いま、なぜ『学徒出陣』なのか〜『学徒出陣』80年の歴史的意味を考える〜」のテーマで講演が行われたと書かれていた。
 その講演要旨を読んで考えることがあった。
講演で、安川さんは「きけ わだつみのこえ」を死を目前にした酷薄な状況の中で、日本の学生兵たちが最後まで鋭敏な心と明敏な知性を失うまいと必死に努めていたことを示す貴重な記録」と評価した。他方、同じ枢軸国のドイツとイタリアの学生・青年たちが残した「白バラは散らず」「イタリア抵抗運動の遺書」と比較すると「違いはあまりにも大きい」とも指摘した。端的な違いとしては、日本の学生兵が銃口をアジアの民衆と連合軍に向けながら、戦争の目的がわからず「一体私は陛下のために銃をとるのであろうか、あるいは祖国のために銃を取るのであろうか」と悶えているのに対して、ドイツ・イタリア 両国の学生・青年たちの銃口ファシスト勢力に向けられており「お母さん、僕は理想のために処刑されるのです。・・・イタリアの自由万歳!」と、闘いの目的も自明であったことをあげていた。
 続いて安川さんは日本における「超希薄な戦争責任意識」についても言及していた。20世紀において、君主の下で戦争を始めて破れた国の大部分では、君主制が廃止されたことを踏まえて、私たちは、米軍による占領政策の都合上、天皇裕仁の戦争責任の免責が世界史的には唯一の異例な出来事である事実を、恥じる思いで認識する必要がある」と強調した。
 また、敗戦後のイタリア・ドイツが侵略戦争推進時の国旗・国歌を改めたのと対照的に、日本は99年に国旗国家法を制定した。侵略戦争のシンボル「日の丸」と天皇治世賛美の「君が代」を保持し続けていることも指摘した。ドイツとイタリアでは侵略戦争遂行に全面協力した戦時中の新聞は基本的に戦後すべて廃刊となったが、日本ではそうした責任追及は全くのように行われなかった」と述べた

 講演の終盤、安川さんは30年以上続けている日本の大学生を対象としたアンケートの結果を紹介した 。
 「ドイツとイタリアでは戦後(侵略戦争を反省して)国旗と国歌を改めているという大変重要な事実を高校までに学校で教えられたことがありますか?」との質問に「ある」と回答した比率は1割もなく、9割以上の日本の学生は、戦争責任問題を考える上での重要な知識をそもそも奪われていると指摘した。
 第一次世界大戦以来の貴重な「良心的兵役拒否の思想と運動について学校で教えられたことがありますか?」という問いに対して「学校で教えられたことがある」と答えた学生も1割に満たず、9割以上の学生がそれについて無知な状態であることが分かったという。
 戦争放棄憲法9条を持つ日本の青年に「良心的兵役拒否」の思想と運動を伝え教えることは「大事な教育内容だ」と安川さんは講演の最後に訴えたと書かれていた。

安川さんの講演要旨を読みながら、不審に思った点が一点あった。それは、80年前の日本学生兵と同じ枢軸国のドイツ・イタリアの学生兵には違いが明確にあったと書かれていた点である。端的な違いとしては、日本の学生兵が銃口をアジアの民衆と連合軍に向けながら、戦争の目的がわからず「一体私は陛下のために銃をとるのであろうか、あるいは祖国のために銃を取るのであろうか」と悶えているのに対して、ドイツ・イタリア 両国の学生・青年たちの銃口ファシスト勢力に向けられており「お母さん、僕は理想のために処刑されるのです。・・・イタリアの自由万歳!」と、闘いの目的も自明であったことをあげていた。

この違いは何だろうと思った。なぜこのような違いが生じるのかと考えて見ると、全て教育の違い、教育の差の結果だと思った。日本の学生兵は小学校から大学までの教育の場ではもちろん、新聞や雑誌、ラジオから隣組までの一切を動員して(動員されて)軍国主義的に教育・形成され、文字通りに「聖戦」を信じるように育てられた結果だと思った。
「きけわだつみのこえ」にあるように、日本の学生兵は日本軍隊と侵略戦争という「死の家」に投げ込まれて、やり場のない苦悩で傷つきながらも、しっかりと目覚めた理性は、「一切が納得が行かず肯定ができない」と言い切ったが、多くの者にとってその苦悩は諦めへと片づけてしまうしかなかった。

私たちは本当に先の戦争の反省をしたのだろうかと思う。学校教育では先の戦争についてほとんど触れないし、おざなりすぎはしないか。都合の悪いことは教えないという、今も戦前の教育の延長に私たちは置かれているのではないだろうか。自民党教育勅語を復活すべしと主張している。私たちは二度と戦争はしないと誓った。しかし、「これは聖戦である。起て!」と言われたら、すでに立ち上がる人がいるのではと思う。すでに、私たちはそのように仕向けられていないかと恐れる。戦前の新聞ラジオが戦意高揚を役を担ったように、いまは新聞テレビが公認取消という脅しを受けながら大本営発表に終始している。
日本国憲法の精神からすると、反戦平和こそ私たち日本国民が目指す道である。学徒出陣から80年、改めて「きけわだつみのこえ」を読み返したいと思う。