ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「街場の米中論」を読む

 米中対立の狭間で生きていかなければならない日本は、これからの米中関係はどうなるのかとても気になる。この本は米中のそれぞれの歴史を掘り起こして、それぞれの趨向性もしくは戦略について考えたものである。それらを見分けることができれば、彼らが「なぜこんなことをするのか?」「これからどんなことをしそうか?」について妥当性の高い仮説を立てることができると書かれていた。世界の情勢の先行きがよく見えない中、これからの米中関係は簡単に予想できないが、米中の趨向性を考えることは重要なことだと思った。興味深く思うことはたくさんあった中で、中国の教育政策が、日本との違いもあり特に印象深く感じた。
中国の教育政策について、一部引用する。

 2021年に中国では、教育の商品化禁止として「双減政策」が実施された。双減政策の実施はこれまでの教育政策の方向転換であった。中国では受験競争が加熱状態にある。学歴によって就職にも年収にも大きな差がつくことから、小学校から高校まで、経済的に余裕のある親たちは子供を学習塾に通わせる。それが近年、加熱してきて、子どもの身体の発達が阻害されたり、メンタルに傷を負う子供たちが出てくるなど子供に対する学習負荷が問題となった。そこで政府は、「双減政策」なるものを採用して、「二つのものを減らす」こととした。一つは子供の学習時間を減らすことである。まず宿題を制限した。小学校1、2年生は宿題なし。3年生から6年生までは1日平均60分で終わる量まで。中学生で1日平均 90分まで。それ以上の量の宿題を出すことが禁止された。
 もう一つは、学習塾の非営利化である。学習塾で金儲けをしてはいけないということを政府が命じた。株式会社の学習塾や 英語学校が中国には乱立していたが、この政策のせいで株価が急落し、いくつもの教育産業の企業が倒産した。外資系の塾は開業禁止となり、海外とつながるオンライン教育プログラムも禁止された。こういうことは資本主義社会では絶対にできないことであり、現に消費者のニーズがあり それに答える教育サービスが提供されているにも関わらず政府は禁止した。これは「教育は商品ではない」という教育についての中国政府の思想の表明であった。

 教育が商品であるとすると、それを買うお金のある人間だけが教育を受けることができ、貧しい人間は質の高い教育機会から遠ざけられることになる。「教育を受けるために金を出せる人間」だけが教育を受ける権利があるという話は、資本主義社会では当たり前のことである。
 中国政府は、そんなことを続けてゆけば、国民の間の経済格差がそのまま学力格差に相関することになる。格差を放置すれば、いずれ、国内のすべての権力も富も文化資本も一部の「金持ち」の占有物になる。それは中国政府としてはどうしても避けたいと考えた。
 中国政府の発表では、双減政策導入から7ヶ月で、塾や予備校の数は92%減となった。併せて、ネットゲームにも時間制限が課せられた。子供たちがネットゲームをしていいのは、金土日祝日の午後8時から9時までの1時間のみである。
 ゲーム禁止なんて、他の国では絶対にできないことである。ゲームを売る企業があって、それを買って楽しむ 消費者がいる。政府が口を出す話じゃないだろうというのが理屈である。でも、中国人には「阿片」という痛苦な歴史的経験がある。英国人が大量に持ち込んで、19世紀の中国人たちは阿片に溺れた。一方に「売りたい」という人がいて、他方に「買いたい」という人がいる。マーケットのロジックに従うなら、誰にもこれを止める権利はない。でも、子どもたちがゲームに1日何時間も耽溺しているさまを見て、これは清朝末期の中国人たちが「阿片」に嗜癖している様子と同じと考えられたということである。

 中国にはかつては「科挙」というエリート選抜制度があった。過酷な試験に勝ち抜いた少数の受験秀才が権力も財貨も文化資本も独占し、圧倒的多数の人民は貧困と無学のうちに取り残された。この資源の偏りが清朝末期の国力の衰退と欧米列強による国土の蚕食をもたらしたというのが中国政府の見解である。だから中国政府はすべての国民が等しく教育を受けて、歴史について、政治についてすべての国民が十分な知識を持つことを目指している。
 「双減政策」は、受験競争の過熱、階層格差の再生産、子どもたちがゲームに惑溺することをこのまま放置しておくと、いずれ国力が衰退するという見通しのもとに出された政策で、次のことを明確に禁止している。金持ちの子どもだけが有利になる学習競争は禁止する。子どもたちの心身を弱らせるような娯楽は禁止する。

 中国政府は、すべての国民に十分な教育を施すことが国の発展に絶対欠かせない条件と考えているようだ。翻って日本では、すべての国民に十分な教育を施すことが国の発展に絶対欠かせないという方針で教育行政がおこなわれているのだろうかと中国と比較して考えてしまう。日本における教育問題はいじめ、引きこもり、詰め込み教育学力低下、貧困による教育格差など課題が多い。さらに、教員志望者の減少、教員不足などの問題もある。それでも、教育予算は対GDP国際比較では100位くらいでとても低い。中国が教育について力を注いでいるのに比べて、現在の政権与党の自民党にとって、教育の優先順位はさほど高くないようだ。この点でも日本の未来が案じられる。