ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「エドヴァルド・ムンク」を見る

 NHKBSで「ザ・プロファイラー 夢と野望の人生 エドヴァルド・ムンク」を見た。ムンクは昔から気になっていた画家である。ムンクの代表作は上記写真にある「叫び」という作品である。私は昔、この作品を見て怖いと思った。そして、ムンクはどうしてこんな怖い作品を描いたのだろうか?どのような恐怖からこのような作品ができたのだろうか?など、この作品が描かれた背景などが気になっていた。しかし、今日まで分からないままであったので、この番組を見て何かわかるかもしれないと思って、番組を見ることにした。この番組を見てムンクがこの絵を描いた理由がわかった。

 エドヴァルド・ムンク(1863年生ー1944年没80歳)はオスロ生まれのノルウェーの国民的画家である。医者である父親と優しい母親のもとで裕福に育てられていたが、母親が、ムンク6歳の時に結核で亡くなった。父親は母親が亡くなった後、スパルタ式の厳しい教育方針でムンクの教育にあたった。ムンクは優しい母親を亡くし、鞭打ちされるほどの厳しい父親の教育に嘆いていた時、2歳年上の姉が一番優しくしてくれて、絵を教えてくれた。しかし、その姉もムンクが14歳の時に、結核で亡くなった。一緒に絵を描くのが喜びであった姉が亡くなったことはムンクにとって大きな悲しみと苦しみであった。

 

印象派 左:モネ 散歩     右:ルノワール 舞踏会

 ムンクは画家になることを目指し、1881年17歳でノルウェー王立美術工芸学校に入学し、そこで絵画の勉強を始めた。当時は印象派の影響が強い時代であった。

 

ムンクの初期の作品

入学当初はムンクは写実的な絵画を描いていたが、やがて当時若者の人気を集めていた「クリスチャニアボヘミアン」というグループと交友を深めていった。彼らが主張するボヘミアニズムは自由を追求することを目指す運動で、旧態依然とした風習、政府、結婚制度、宗教などの古い伝統を真っ向から否定するものであった。ムンクは彼らの考え方に共感して自由に生きる生き方に身を投じていった。そしてボヘミアンの戒律の一つでもあった「汝、自らの人生を記せ」という言葉に大きな影響を受けていった。この言葉の意味は画家であれ作家であれ、創作者は「おとぎ話のようなものを描くのではなく、自分が体験したこと経験したことを率直に描く。たとえ、自分にとって恥ずかしいこともためらうことも恐れず描く」ということであった。これが芸術家ムンクを作る上で重要な役割を果たすことになった

 

病める子

「レオナルド・ダビンチ・が人体を研究し死体を解剖したように、私は自らの魂を解剖してみよう」と22歳の時に記して、見えるものを写実的に描くことが主流であった時代に、自分の魂(心)を描くことに取り組んでいった。どのようにすれば自分の心を描くことができるのかと悩み苦しみながら、一番大好きであった姉の最後の姿を題材にした作品に取り組み、一年間かけて試行錯誤の末できあがった作品が「病める子」であった。椅子に座る姉の人物像は輪郭がぼやけ、絵にはあえて引っ掻き傷を無数に残し、ムンクの心の傷を深く投影したものであった。今まで写実的な絵しか描いていなかったムンクの作品としては、内面を表現した初めてのものであった。
 ところが、この作品を展覧会に出したところ、評価は散々なものであった。当時の新聞には、「ムンクの作品はぼやけた作品で、近づけば近づくほど何が何だか分からなくなり、しまいには雑多な傷や班点だけになる」とこき下ろした評論が掲載された。しかし、ムンクは酷評にも心は折れなかった。「病める子」は私のアートにおける新境地となり突破口となったと記している。

 

ゴッホの作品

それから、ひたすら自分の内面である魂(心)の表現に取り組んでいった。その取り組みの結果を展覧会や個展で発表した。しかし、社会はいつもムンクの作品は前衛的すぎて理解できないと酷評をあびせた。そういう中、ムンクはフランスでゴッホの作品を見て感動した。ゴッホの作品には、今まで見たことがない人間の内面が強く表現されていた。ゴッホは魂が感じたままを描く画家であると理解した。

 

叫び

 ゴッホに勇気つけられてその後も創作活動を続けていた中、1893年29歳の時、友人と海岸を歩いていた時のことをメモに残している。「夕暮れ道を歩いていた。一方には町が見渡せ眼下にフィヨルドが横たわっている。立ち止まってフィヨルドを眺めていると沈みゆく太陽と雲が赤く染まっていった。まるで血のように。どこからか聞こえる叫びが私の耳を貫いたように感じた。確かに叫びを聞いた気がした。私はこれを絵に描いた」

何らかの叫びに耳を塞ぎ立ちすくむムンク。背景も人物も歪んだこの絵はムンクの実体験を描いたものと言われている。後に「叫び」と題名されたこの絵は、最初は「絶望」とタイトルされた。

 この作品はムンクの心の中を表現した作品である。この作品はムンクの体験をもとに描かれたものであるが、私は、全ての人間が持つ魂(心)という内面を表現した作品であると思った。私たち人間は全て、心の中にこのような要素を内蔵しているということだと思った。
 この作品描いたとき、ムンクの心は悲しみと恐怖と苦しみが充満した爆発寸前の状態であったのではないかと心配になるが、解説者の方の話では、画家という立場でこの作品を考えるとき、この作品を描いた時のムンクの心境は、思う存分人間の心を描くことができたという達成感で満ち足りていたのではないかと思うと話されていた。人間の魂を心を表現したいと思いながら表現できず長い年月苦しみ抜いてきたけど、やっと思い通りにキャンバスに描くことができたという満足感である。それを聞いて安心した。