ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

天福寺へウオーキング

青点をスタートして天福寺まで行き、青点に戻る往復コース。距離8.76km、最低高度0m、最高高度59m、総上昇高度139m、消費カロリー821kcal、天気雨時々曇り、気温13度、湿度89%

 山歩きの仲間が、天福寺までのウオーキングを計画してくれた。片道約4km、往復8kmのウオーキングをして、昼食は水産食堂で海鮮丼を食べようという計画である。海鮮丼付きのウオーキングはぜひ参加したいと思って喜んで参加した。

 

 今日の集合場所は、長崎魚市場近くの駐車場である。今日は日曜日のため長崎魚市場は休業日で、魚市場の方には漁船も人影も見えない。しかし、近くの長崎漁港がんばランドというスーパーは朝から賑わっている。聞くと、「長崎漁港がんばランド」の中には魚の直売所があって水揚げされたばかりの活きのよい鮮魚が手に入るようだ。

 

 集合した頃は、雨が上がっていたが、出発する時になってまた雨が降り始めた。今日は雨時々曇りだから、雨具を着用してのウオーキングになる。雨の中ではあるが、仲間と一緒に歩くのは久しぶりでみんな楽しそうである。このグループは小雨程度は中止にしない。雨天決行が多い。

 

 三重漁協活魚センターの前を通る。少し寄り道して魚を見せてもらう。水槽には籠ごとに魚が入れて活かされていた。また大きな水槽を覗くとその水槽の底にはヒラメが折り重なるように活かされていた。今は、ヒラメが一番多く獲れているようだ。

 

 左手に海を見ながらアップダウンを繰り返しながら進んでいく。雨は降ったり止んだりの繰り返しである。天気のいい日は青い海が広がりとても景色がいい場所らしいが、今日はその絶景は期待できない。そして、右手に雨に煙る景色の中に樫山地区が見えてきた。いよいよ天福寺も近い。

 

 今日の目的地である天福寺へ到着する。私は、天福寺参拝を心待ちにしていた。私ばかりでなく、仲間の皆さんも同じである。今日のウオーキングはみんなが天福寺にお参りしたいと思ったことから実現したことであった。

 昨年(2023年)12月27日の長崎新聞に次の記事が掲載された。「長崎市樫山地区にある天福寺に1978年異教徒の人々が訪れた。寺は貧しく本堂の床は抜け落ちそうで、天井からは雪が舞い込むありさまだった。檀家に改築費用を募っている最中であった。訪れた異教徒は400万円もの寄付を申し出た。「私たちは潜伏キリシタンの子孫です。お寺のお陰で信仰と命を繋ぐことができました。少しでも恩返しがしたい」

 1688年に建立された天福寺は曹洞宗のお寺である。にもかかわらず、キリスト教が禁止され、取り締まりがあった江戸時代に、危険を冒して潜伏キリシタンを檀家として受け入れ、積極的にかくまっていた歴史があった。

 寄付を申し出たカトリック信者たちは30人ほどで、寄付の理由をこう語った。「天福寺に何かあったときは助けるようにと、いろり端で代々、伝えられてきたから」そして、信仰する教会への不義理と捉えられるのを嫌がったのか「自分たちの名前は出さないで」と頼んだという。

 鎖国時代、外国に開かれた唯一の窓である長崎は、異国の文化に触れ、さまざまなものを受け入れて異国情緒あふれる町になっていった。例えば、キリスト教については、キリスト教が許されているときは、小ローマと呼ばれるほど多くの教会が建つ町になったが、キリスト教が禁止されると教会は全て破壊され、信者は捕らえられ、棄教しなければ死刑となった。信者狩りは徹底して行われ、庇うと同罪とみなされた。併せて密告が推奨され、多くの信者が犠牲となった。長崎は受け入れるだけでなく弾圧を行った町でもある。そして、そこに住む長崎人は権力者の意向に従って行動するしかなかった。

 そのような時代に、天福寺の住職はキリスト教徒を見つけた。棄教するよう説得したが彼らは拒否した。役所に報告すると彼らは必ず死刑になる。報告しなければ、露見したとき、自分も同罪として死刑となる。天福寺の住職は悩み苦しんだに違いない。

 天福寺の住職は死の覚悟をして異教徒を保護した。1番大事なものは自分の命である。その命をかけて、他人のために行動することはなかなかできない。長崎の地で起きたこの事実を「長崎の良心」と呼びたいと思う。弾圧に加担した長崎で、このような良心が存在したことを知って安堵する。