ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

同性パートナー訴訟について

 先日、長崎新聞に「同性パートナー訴訟」についての社説が掲載された。
 20年以上も生活に共にしたという同性パートナーを、殺人事件で失った男性が犯罪被害者等給付金支給法に基づく遺族給付金を受け取れるかどうかが争われた訴訟の上告審判決で、最高裁は「同性カップル」も支給対象とする初判断を示した。同性同士を理由に支給の対象外とした二審名古屋高裁の判決を破棄し、審理を高裁に差し戻した。犯給法は犯罪被害者の遺族に給付金を支給することを規定する法律である。婚姻届を出していなくても「事実上婚姻関係と同様の事情にあった者」を対象に含めるとする。法律婚だけでなく事実婚にも救済を広げる狙いがあり、訴訟では同性間の関係も、これに含まれると解釈できるができるかが争点となった。最高裁判決は、異性間のみが婚姻制度の前提になっているとして同性間の事実婚は認められないとした下級審の判断を覆した。ただし、原告の男性が事実婚といえる状況にあったかを判断するため、差し戻した。各地で、同性婚を認めない民法などの規定は違憲であると同性カップルが訴えを起こし、違憲違憲状態の判決が相次ぐ中、今回の判断は影響を及ぼしそうだ。性的指向性自認は本人の考えや努力で変えられるものではなく、それゆえに不利益が生じるのは看過しがたい 。だが、国会の動きは鈍い。性的少数者の権利を守るため、速やかに法整備に取り組むことが求められると書かれてあった。
 
 元プロバレーボール選手の滝沢ななえさんの番組を見た。彼女は十代の頃から異性との恋愛関係に違和感を感じていた。女性が男性を好きになり夢中になることは普通のことだと頭では理解してても、男性とつきあっても、異性に夢中になれない。「大好きで大好きで会いたい」という気持ちになれない。友達と違って、自分だけ盛り上がれない。自分には恋愛できない感がすごくあった。どうして友人みたいに恋愛ができないのだろうと思っていた。私は人のことを好きになれないアセクシュアルな人間ではないかなどと考えることもあった。それならそれでいいと思ったが、その後、自分の恋愛対象が女性であることに気づいた。同性の女性と付き合って自分は同性愛者だと確信し気が楽になった。自分も人を愛することができることに気づき嬉しいと思った。戸惑いよりも納得の方が大きかった。

 その後、滝沢さんはパートナーと出会い、お付き合いをして理解を深め、パートナーと一緒に暮らそうということになった。彼女とは、この先も人生を共有する相手だと思っていたので、「友達と一緒に住んでいる」とごまかすのではなく、本当のことを伝えた方がいいと思い、彼女との関係を母親に話すことを決めた。
「実は、私は同性愛者です。パートナーの子と一緒に住むことになりました。」「そうなんだね。一緒に住むのであれば、あなたに覚悟が必要だし、相手に対する責任もちゃんと持ちなさい」母親の言葉は少なかったけど母なりに、ちゃんと受け止めてくれたんだと感じた。しかし、まだ他の家族には話さないでと言われた。

 滝沢さんは現役引退後、テレビ番組でレズビアンであることをカミングアウトした。どんなネガティブな言葉をかけられても、自分が生きたいように生きようと思ったからカミングアウトした。たとえセクシャルマイノリティであっても自分は自分らしくいきたいと思った。自分の中に軸を持つ、幸せの軸は自分にあることが大事と思った。
 カミングアウトした理由について、同じ悩みを持つ人に何かお役にたちたいと思ったから。自分の人生をごまかして生きたくない。自分がどうしたいのか、自分の考えで生きていくことがすごく大事だと思ったと語っている。カミングアウトした結果、滝沢さんの兄弟姉妹を含め周りの人からは全て好意的な肯定的な優しい反応が返ってきた。私の周りでは、否定的な反応がなかったことは自分はとても恵まれていると思った。

 私はカミングアウトしたけど、みんながカミングアウトをすべきとは思わない。ネガティブな反応があってもやっていく覚悟がなければ、カミングアウトしてはいけない。例えば、家族で絶交することがあっても貫き通すというような覚悟がなければカミングアウトすべきではない。まだまだ否定的意見もあるとも語っている。

 G7の中で日本だけが同性婚は認められていない。もしかして、自分はそうなのかな?と気づいたとき、家族でも、友人でも、同じ悩み持つ人でも、誰か一人でいいからわかってくれる人を見つけてほしい。一番大事なのは、自分らしくいられる場所を見つけることですと語っていた。

 私はLGBTQプラスの方の生き方を支持したいと思う。自民党が言うような社会の構造が変わる、隣に住んでいたら嫌だ、見るのも嫌だとか古い考えや古い感覚に固執すべきではない。セクシャルマイノリティーの方の話を聞きその痛み苦しみを理解する。セクシャルマイノリティーにはいろんな方がいる。それを認め合える社会を作っていきたいと思う。