ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

広島・長崎への原爆投下は「国際法違反」

  昔、日本で原爆裁判と呼ばれる裁判があったことを初めて知った。その原爆裁判の判決文書には3名の裁判官の名前が記されている。その中の一人は女性裁判官で、今年の4月からのNHK連続テレビ小説「虎に翼」の主役のモデルになった方であるという話を聞いた。
 原爆裁判とは、広島と長崎の被爆者や遺族5人が起こした訴えである。当初は、1953年(昭和28年)にアメリカの裁判所でアメリカ政府を訴えようとした。しかし、当時は日本が独立を回復したばかりで、アメリカを訴えることに周囲の理解は得られなかった。結局、1955年(昭和30年)に、日本政府を相手どって東京地方裁判所に、「原子爆弾の投下は残虐で、無差別爆撃などを禁じた国際法に違反する」と主張し、損害賠償を求め提訴した。

 裁判所の審理は、通算8年に及び、裁判で国は、「原爆は、広島市及び長崎市に対して使用されるまでは、世界人類によってまだ一般に知られていなかった。原子兵器に関する実定国際法は存在しなかったというべきであり、実定国際法違反という問題は起こりえない 」「原子爆弾の使用は日本の降伏を早め、戦争を継続することによって生じる交戦国双方の人命殺傷を防止する結果をもたらした。かような事情を客観的に見れば、広島・長崎両市に対する原子爆弾の投下が国際法違反であるかどうかは、何人も結論を下し難い」と述べて「原爆投下が国際法違反とは断定できない」と主張し、被爆者への賠償や補償の義務も否定した。

 提訴した当時は、まだ被爆者支援の法律もなく、原爆への国民の理解も十分でなかった。この裁判では、原爆投下が当時の国際法に違反するかどうかが最大の争点として争われた。裁判所は3人の国際法学者に鑑定を依頼した。このうち2人は国際法違反と断定、1人は違反の判断に傾きつつも、確定的に断定できないとした。被爆者側と国の主張は、大きく対立したまま審理を終え、判決は1963年(昭和38年)12月7日に言い渡された。判決は、「広島・長崎への原爆投下は国際法違反である。原告が求めた国家賠償法による賠償請求は認めない」とした。
 

判決文には国際法違反については次のように記されている。
「広島・長崎両市に軍隊、軍事施設、軍需工場等いわゆる軍事目標があったにせよ、広島市には約33万人の一般市民が、長崎市には約27万人の一般市民がその住居を構えていたことは明らかである。(中略 )広島・長崎両市に対する原子爆弾による爆撃は無防守都市に対する無差別爆撃として、当時の国際法から見て、違法な戦闘行為であると解するのが相当である」
原子爆弾の破壊力は巨大であるが、それが当時において、はたして軍事上適切な効果のあるものかどうか、またその必要があったかどうかは疑わしいし、広島、長崎両市に対する原子爆弾の投下により、多数の市民の生命が失われ、生き残った者でも、放射線の影響により、18年後の現在においてすら、生命を脅かされている者のあることはまことに悲しむべき現実である。この意味においては、原子爆弾のもたらす 苦痛は毒、毒ガス以上のものと言っても過言ではなく、このような残虐な爆弾を投下した行為は、不必要な苦痛を与えてはならないという戦争法の基本原則に違反しているということができよう」
また国の賠償責任については政治の責任について述べている。
「国家は自らの権限と自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、障害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである。しかもその被害の甚大なことは、とうてい一般災害の比ではない。被告がこれに鑑み、十分な救済策を執るべきことは多言を要しないであろう。しかしながら 、それはもはや裁判所の職責ではなくて、立法府である国会及び行政府である内閣において果たさなければならない職責である。(中略)終戦後十数年を経て、高度の経済成長をとげた我が国において、国家財政上これが不可能であるとは到底考えられない。我々は本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられないのである」
「政治の貧困を嘆かずにはおられない」という政治に向けられた異例の表現が、その後、政治を動かし、「原爆被爆者に対する特別措置法」の施行につながっていった。

 日本における裁判において、「原爆投下は国際法違反」という判決が確定した。日本の裁判官が原爆について国際的に通用する判決文を最初に書いた。このことがその後の原爆に対する国際的基盤となり、国際司法裁判所での「核兵器の使用と威嚇は人道主義に反する」という判断に繋がり、それがのちの核兵器禁止条約に繋がり今日に至っている。あらためて、我が国の核兵器禁止条約への早期締結を望みたいと思う。