ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「老記者の伝言」を読む その2

「老記者の伝言」を読んで考えたことをさらに記す。むのたけじさんはこの著書の中で、沖縄のことを何度も話題にしている。沖縄問題は日本人も国家もまず第一に取り組むべき問題と言っている。そのきっかけについてむのさんは次のように語っている。

「1972年沖縄が本土に復帰して間もなく、初めて沖縄を訪問した。そのとき、タクシーの運転手さんがホテルに行く途中いろいろ話してくれた。話を聞きながら二つのことが心に残った。一つは、復帰前の沖縄では女子高生が学校からの帰り道、戦々恐々だったこと。歩いていると米兵がジープで寄ってきて車の中に連れ込んで乱暴して、終わるとボロを捨てるように道端へ投げていった。なのに沖縄県民は何も言えなかった。どれほど情けなかったかと。もう一つは、その運転手さんが勤めていた米軍基地を首になったこと。理由はスピード違反である。制限速度5キロの場所を7キロだしたからだと。理由は原子爆弾を貯蔵していた倉庫の付近で大きな振動を与えられないからということであった。日本は非核三原則であるはずなのに、沖縄は日本であって日本でない。本土が安堵するために沖縄にだけ負担を敷いていると思った。そして今でも沖縄では、少女が乱暴されたり、オスプレーがきたり、辺野古問題だったり、沖縄県民が嫌だと言っていることが平気で続けられている」
 「これを解消するためには、どうすればいいか。アメリカに日本を守ってくださいとお願いしなければいいんですよ。そうすれば米軍基地はいらないでしょう。辺野古基地問題は、アメリカの対中国問題です。日本と一緒にしっかり中国をにらんでいるぞ、一歩も引かないぞというアメリカの意思表示ですよ」
 「日本は、自分の国は自分で守ると言って、中国や韓国と仲良くすればいい。絶対、いくさはしない。中国がどこからか攻められたら日本が支える。問題を起こせば忠告するという関係をつくる。それしかないでしょ。東アジア共同体というのがそれなんですよ」と語っていた。

むのたけじさんが言うように、日米安保条約が日本にとって唯一の道なのか検討すべき時期に来ていると思う。むしろ、日米安保条約のためにアメリカの戦争に巻き込まれる危険が高まるのであれば百害あって一利なしの条約ではないかと思う。世界の核戦争の危険が高まるとき、その危険要素である核保有国と等しく距離を保つことが今は重要でないかと思う。アメリカだけに肩入れする危険を感じる。

 

むのたけじさんは憲法9条についても語っている
「それにしても、敗戦の時のオラたちはバカだったな。開放感が先に立って、この戦争は何だったのか。誰が何のために計画したのか。自衛権まで否定していいのか。そういう勉強をやらなかった。憲法9条は当たり前だから放っておいた。それがよくなかった」
 「国家は交戦権を持つことで一人前の国家になる。9条は、それを頭から否定しているわけだ。交戦権を持つな、武器を持つなと。日本国憲法と言いながら日本という国の存在を認めていないことになるのに、それがわからなかった。要するに勝った者が負けた者を無残にさばいた、日本という国への死刑判決だった。だが同時に、軍国日本への死刑判決でもあった。人類が生き残れるとすればこれしかない、という太陽の輝きがあった。正と負が重なりあったものだった」
 「そのことについて我々は考えないとならなかったのよ。連合国から受けた最大の侮辱と、太陽の輝きの中で、私たちはおいおい泣きながら、死にものぐるいで、もがかなきゃいけなかったのよ。その上で憲法9条に光を見たら、今とは全然違う状況になっていたと思う。与えられたものでなく、自分たちで考えた生き方、思想が生まれ、それが本物として根付いていったはずよ。そういうことをせず、最初から、美しいと言って、仏つくって魂入れずだった。9条は、本当に立派なものだ。でも、そんなことだから、9条と正反対のことを堂々とやっているでしょ。軍人は一人もいない、兵器は一丁もないはずなのに、この通り世界有数の軍事大国と言われるざまだもの。アメリカも、本当にいい憲法と思っているなら、真似するはずなのに、それも逆。『今度こそ世界を見返してやる。おまえらなんかこんな憲法作れないだろう』そういう悲しみと怒りと決意の入り交じった9条に、これからもしようじゃないの」

憲法9条について、あらためて考える機会となった。日本人が憲法9条について、死にものぐるいで、もがきながら考え抜いたかどうかは確かに疑問である。まだまだ、憲法9条は日本人の心の中に確固たる思想としてなりたっていないと思う。むのたけじさんが言うように、悲しみと怒りと決意の入り交じった9条を苦しみながら作っていかなければと思う。