ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

1976年5月 宮沢喜一外務大臣国会答弁を見る

 先日、久しぶりに連れ合いとハウステンボスに行った。当日は天気が良くて、青空の下ハウステンボスの1日を楽しんだ。春休みでハウステンボスは子供連れの親子の来園で賑わいを見せていた。園内には心地よい音楽が流れ、子供たちの歓声に包まれていた。平和な一日がここには溢れていた。私は、このような平和な日々が永遠に続いてほしいと願うばかりである。


 日本は、1945年8月15日敗戦を迎えた。戦争で多くの国民の生命を失い、また無一物となった。着の身着の儘の再出発であった。敗戦で多くのものを失ったが、その敗戦で唯一手に入れたものは平和憲法であった。二度と戦争はしないという決意であった。

 そのようにスタートした日本国の再出発から、79年経った今、新聞誌上には、戦争につながるさまざまな情報が溢れるようになった。
 2024年2月24日の新聞には、政府が台湾有事を念頭に検討を進める沖縄県先島諸島から九州各県と山口県に約12万人を避難させる計画の原案が発表された。先島諸島のうち八重山地域の住民は原則として九州北部と山口の5県、宮古地域は南九州3県で受け入れる内容。今後、各県と協議を進めて移動手段や県別の避難人数を確認し、2024年度中の決定を目指すとあった。
 2024年3月27日の新聞には、政府は防衛力強化の一環として、有事の際の自衛隊海上保安庁による使用に備えて整備する「特定利用空港・港湾」に、北海道や沖縄など7道県の計16カ所を有事に軍事利用できるように指定する方針を固めたとあった。
 2024年3月20日の新聞には、戦闘機の輸出を閣議決定したことが掲載されたし、そして防衛費増額だけは大盤振る舞いで決まっていくこともたびたび報道されている。私には、戦争の足音がどんどん大きく近づいてきているような感じがする。

 このような重大事が、国会で十分議論されることなく、閣議決定で決められているが、国民の前で堂々と国会論議を行うべきと思う。なぜ、防衛費を2倍に増額しなければいけないのか、どのような外交戦略で危機回避をしようとしているのか国家の基本方針を明確に国民の前で語ってほしいと思う。戦争を防ぐために一番重要なことは外交だと思うが、軍備増強の話は聞くが、日本の外交についての話はほとんど何も聞かない。

 戦闘機輸出が今話題になっているが、武器輸出について48年前の外務大臣の国会答弁を見た。48年前の外務大臣は哲学と信念をもって政治に取り組んでいたことがわかる内容であった。今の政治家からはこのような言葉が聞くことができない。だから、現在の日本の外交は無しに等しいと言わざるを得ない。
1976年5月 宮沢喜一外務大臣国会答弁
「我が国には武器輸出三原則があります。これは、武器に当たるものは輸出しないことと私は考えております。ただ、このような哲学を持っている国は、おそらく我が国だけと言ってもいいくらい、世界の中では少数であります。現実に武器を売る方も買う方もありますが、それらは我々と哲学が全く異なることとなります。そして買う方は国の安全とかいろんな理由があると思いますし、また売る方は兵器産業というものがある意味でその国の経済体質の中にはっきりと組み込まれてしまっていて罪悪感というものは伴っていないというのが現状だと思います。もちろん、経済政策的に言えば、兵器の生産や兵器の購入というものはいわゆる非生産的なものでありますから、本当はそのような姿では経済発展というものには寄与しないと私は思います。しかし、今の現状というものは、我が国が主張したところでなかなか簡単には世界は変わらないと思います。我が国のような軍備らしい軍備を放棄した国が、歴史上、繁栄していくことで、そのようなパターンというものが示せるほど長い時間が経てば、これは一つのいい教訓になっていくかもしれないと思います。
これは、時間がかかることではあるということから考えますと、どうも残念ながら、そのような兵器をめぐる取引というのは現実として考えざるをえないところもあります。しかし、そこへ我が国が入っていくかどうかということについては、やはりどうしても消極的に考えるべきであります。たとえ何がしかの外貨が稼げるといたしましても我が国は兵器の輸出をして金を稼ぐほど落ちぶれてはいない。もう少し高い理想を持った国として今後も続けていくべきなのであろうと思います。どこまでが許されてどこからが輸出が許されないのかということは議論してできないことではありませんが、卑しくも疑わしい限界まで近づいていくことも消極的に考えるべきではないかと思っております」

 当時の宮沢喜一外務大臣は、日本国は兵器を輸出して金を稼ぐほど落ちぶれていない。高い理想を持った国として今後も歩み続けて行くと答弁した。その答弁から48年を経た今、日本は落ちぶれてしまい、武器を売って生き延びるしかできなくなってしまったのか思う。こんな悲しく、惨めなことはない。宮沢喜一外務大臣自民党議員である。同じ自民党の後輩にあたる者たちが、約半世紀かけて、日本政治を担ってきた結果がこの始末である。そして今、自民党議員の多くは闇献金で金まみれである。このような人たちに政治は任せられない。一刻も早く退場させねばならない思う。