ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「新しい戦前」を読む

 「訪米中の岸田首相は浮かれっぱなしであった。岸田首相の破顔一笑に隠れて、日本国が米国の戦争に巻き込まれるリスクは、また大きく跳ね上がってしまった。岸田首相は自衛隊を米国に差し出した」という記事を見た。

「新しい戦前」という言葉は、2022年の年末、タモリさんが徹子の部屋に出演された際、現在の日本の状況をどのように見ておられますかと問われて「新しい戦前」と発言されて話題になった言葉である。この「新しい戦前」という著書は2023年8月に上梓された。この著書の中で2023年は戦前ではなく、ほとんど戦中になっているのかもしれないと書かれているが、2024年は岸田訪米でまさしく戦中となった感がある。

この著書では内田樹氏と臼井聡氏が冷静に語っていた。一部を記す。
 岸田政権で、戦後日本の安全保障戦略の大転換があって、軍事費も突出し、敵基地攻撃能力まで言い出した。明らかに「戦争ができる方向」にシフトした。にもかかわらず、メディアは反応しないし、国民も何事もないようにぼんやり暮らしている。どうしてこうも無関心でいられるのか。政策転換そのものよりも、政策転換にまるで反応しない日本人の方がむしろ深刻な問題だと思います。

 この無反応は「自分たちは日本の主権者ではない(アメリカが主権者)」という無力感の表れだと思います。自分たちが代表として選んだ議員たちが国会で徹底的に議論して、その上で決定した政策転換であれば、有権者たちはその政策決定にある程度の責任を感じます。このような政策が採択されたことに「主権者として責任がある」と感じたら、それなりの反応をする。けれども、これは全部アメリカが決めたシナリオです。岸田首相だって記者から「どうして戦後70年以上続いた安全保障政策をいきなり転換するのか」と聞かれても答えられない。「だってアメリカが『そうしろ』と言ったから」だとはさすがに言えない。だから、政策転換には必然性があったと、いくら彼がボソボソ答弁しても、それは全部「空言」であるし 、空言であることを本人も国民もみんな知っている。これは日本が、自分たちの国益を最大化するために発議した政策転換じゃないということはみんな知っている。アメリカに言われたからしている。トマホークやF35を買うのもアメリカの指示に従ってのことだし、軍事費をGDPの2%にするのも、バイデン大統領に言われたので、それに従っている。

 アメリカに鼻面を引きずり回されて国家戦略の方向転換を強いられているのに、これほどメディアも国民も無反応なのは、何よりも「ホワイトハウスの意向に迎合する政権が安定政権だ」ということを刷り込まれているからです。アメリカの言うことを聞いてさえいれば、自民党の長期政権は保証される。自国の国益よりもアメリカの国益を優先的に配慮する政権なのですから、アメリカとしては未来永劫自民党政権が続いて欲しいと願っている。アメリカの保守論壇では安倍、菅、岸田政権は非常に高い評価を得ています。
 長期政権を保ちたければ、アメリカから高く評価されなければならない。これは中曽根、小泉、安倍政権が日本人に教え込んだ教訓です。日本人はみんな知っている。だから、岸田政権がアメリカのシナリオの通りに動いてるのを見ても、「ああ、これで岸田政権も当分安泰だな」としか思わない。政策そのものの適否ではなく、それがアメリカのシナリオ通りかどうかだけしか見ていないのです。政策そのものにどういう意味があるのか、日本の国益に資するのか、国益を損なうリスクはあるのか、という本質的な問いに日本国民はもうずいぶん前から興味を失っている。
 日本には自前の国防戦略はない。はっきり言いますけど、今の日本の政治家には日本の安全保障について、自前の戦略を考える能力も意思もありません。与党政治家は自分たちの政権の延命、自分の利権のことしか考えていない。

 戦前の大日本帝国では、天皇陛下が愛してくださるという恩に対して一朝事あらば命で恩返しする、天皇陛下のために死ぬという義務があった。戦後の日本人は、天皇陛下アメリカに代わり、戦争できる国づくりに邁進し、今まさに、「アメリカのために喜んで死ねるよな?」といわば究極の問いが突きつけられている。
 しかし、戦後の日本にとってのアメリカも、大日本帝国天皇と同じように本当は空虚な「国体」です。

 台湾有事がどう展開するかも、最終的には中国とアメリカの関係で決まるわけです。日本はその決定に関わることはできない。日本は「プレイヤー」ではなく単なる「駒」です。多くの日本人は、日本を意思を持って行動する「主体」だと勘違いしています。今の日本政府はアメリカの戦略に従って動くこと以外何もできなくなっています。アメリカに言われるままにするということを70年以上もやってきて、もうそれに慣れてしまっている。悲しい話です。

 しかし 普通なら客体でいるのはまずいと思うはずです。まずいと思わないのは、つまり依然として、主体だと思い込む勘違いを続けているということでしょう。

 1945年8月の敗戦をもって日本はアメリカの属国になった。戦後生まれは誰一人「主権国家の国民」であった経験がない。生まれてからずっと「属国民」なので、それが当たり前だと思っている。安全保障にしてもエネルギーにしても食料にしても、重要政策についてはアメリカの許諾を得なければ実現するはずがないと全国民が信じきっている。
 今の若い人たちが、「日本の国防戦略はどうあるべきか」を熱く語り合う風景は僕には想像できません。そんなところで何を話してみても、どんな合意を形成してみても、アメリカの許諾を得なければ国防戦略は決定できないですから、話すだけ無駄だということを彼らは感じている。それよりは「アメリカは日本にどんな国防戦略を取らせる気だろう」を考えた方が話が早い。「何をしたいのか」ではなく「何をさせられるのか」を考える方が現実的なんです。国防戦略を立てる役人たちもそれを解説する知識人たちも同じです。どれほど議論したところで、誰かが「そんな政策をアメリカが許すはずないじゃないですか」と言ったら終わる。

 こうした構造の中にいろんなファクトがあります。日本は、その全体を見て「じゃあ、どうやって生きていくのか」と、まともな理路から考える人間が極めて少数派であるという異常な状態になっています。
 属国民である日本国民にとって、喫緊の政治課題は「独立」です。それ以外にはありません。にもかかわらず 、主権の回復という政治課題が語られない。これはまさに「異常な状態」です。でも、今が異常であるということを自覚しない限り、正常に戻るチャンスはありません。

お二人の対談を聞いて、属国民としてぼんやり過ごしてきたことを恥じる。お二人の対談を読み、日本の現状をより明快に理解できた。属国という異常な状態で生きるのは嫌だ。「独立」という正常を目指したいと思う。