ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「詭弁社会」を読む

「詭弁社会という本の見返しには次のように書かれていた。
「近年の政治報道で連日のように、私たちは『そのご批判は当たらない』『〇〇の意図はなかった』『コメントを差し控えさせていただく』といった政治家の言葉を聞く。これらは『詭弁』と言われ、相手を欺くことを目的に使われる論理の詐術である。詭弁は、『ウソ』と同じく人間社会の理性や良識を食い散らして壊してしまう怪物であり、政治の世界のみならず、言論界や我々一般社会をも静かに蝕んでいる。本書は、近年の政治における詭弁を様々な角度から分析・検証し、感染しないための免疫をつけるものである」と書かれていた。

 人間の論理的思考に入り込み、判断を狂わせる詭弁は、目に見えず、その存在に気づかれにくいという面では、ウイルスにも似ている。政治家や社会的影響力のある人間(インフルエンサー)が、意識的に、あるいは無自覚に詭弁を口から吐いて社会に広めている時、それに気づいて対処しなければ感染が拡大し、気がつくと社会全体が『詭弁に乗っ取られた状態』になってしまうとしてさまざまな詭弁の例が書かれていた。その中からいくつか記す

例1 「お答え/説明を控えさせていただきます」
 安倍首相、菅首相、岸田首相と政権が変わっても自民党の決まり文句として使われてきたのが「〇〇なので、お答え/説明を控えさせていただきます」というセリフである。このセリフが発せられると、野党議員や政治記者は、まるで行く手にフェンスでも置かれたかのようにおとなしく立ち止まり、それ以上相手を追及するのをやめてしまう。このセリフは答えたくない質問を一方的に封じてはぐらかす効果的なセリフだが、実は詭弁である。
 首相や大臣、及び公務員は国政に関わる問題や不正疑惑の追及に対して、本当のことを説明する義務を負っている。「その質問には答えたくないのでパス」という返事は許されない。「お答え/説明を控えさせていただきます」の「控えさせていただく」というセリフには、他者への配慮などから見合わせるという意味が含まれる。そのため、質問者はこの返答を聞き、それを善意に解釈して引き下がってしまう。しかし、そこで一見もっともらしい謙虚さの芝居に騙されず、「貴方は今、控えると言われたが、それは具体的に誰に対するどのような配慮なのですか?」また、個別の話についてはコメントを差し控えるという者に対しては、「貴方はそれを説明する義務があるのに、なぜ、個別の話であれば答えなくても許されると思うのですか?そんなルールや規則、法律がありますか?」と問うべきで、その理由を納得できるまで追求していく必要があると書かれていた。

例2「全く問題ない」「そのようなご批判は当たらない」
2012年に第二次安倍政権が発足したころから、政権与党の政治家が「全く問題ない」「そのようなご批判は当たらない」と言い放つ光景をよく見るようになった。特にこの言い方をよく使ったのが、当時の菅義偉官房長官である。記者会見で、政権に批判的な質問を記者から受けた時、菅は真面目に答えずこのセリフを口にして、はぐらかした。菅のこうした態度は、明らかに政府としての説明放棄である。これも詭弁である。しかし、会見場にいる記者がそれに対して強く抗議することはなく、菅は在任中これを多用してはぐらかした。
「全く問題ない」「そのようなご批判は当たらない」というセリフは野球でバッターが空振りをしたのに審判のジャッジを待たずに「バッターは振っていない。だから、ストライクではない」と言っているようなものである。判断するのは国民であって疑惑の政治家ではない。これを口にしたら、「それはなぜですか?」と理由をいちいち聞くべきである。問題があるから批判されているのであって、菅官房長官が「全く問題ない」「そのようなご批判は当たらない」というときは、どのような判断基準に基づいて「問題ない」「批判は当たらない」と理解しているかという理由を説明する必要がある。官房長官はその理由をきちんと説明して国民の判断を仰ぎ、「なるほど、それなら筋が通っている」と国民を納得させる義務があることを無視した詭弁答弁の代表である。

現在の日本の国会では、安倍元首相が百回以上ウソの答弁を行ったように、ウソや詭弁が罷り通っている。しかし、これは昔から自民党政権お家芸みたいに行われていたのではなく、ここ10年ほどの間に悪化したと書かれていた。例えば、「お答えを差し控える」という答弁は、1970年に7回使われたが、2021年には580回使われるようになったという調査結果が出ている。ここ10年ほどの間に劣化し、国会が真摯な討論の場ではなくなっていったようだ。
 なぜ、日本社会はこれほどウソ、詭弁に対して無力となったのかということについて、いろんな要素が考えられるが、一つには、記者会見での詭弁に対する記者の無抵抗である。記者会見で首相や官房長官がさまざまな詭弁を使って返答をはぐらかしても記者は、それに対して全然怒らず、それどころか詭弁を詭弁のまま見出しにして記事を書き、政府側に都合の良い詭弁を社会に広めて既成事実化する片棒まで担いでいるような状況になっていると書かれていた。
国会を正常に戻すためには、報道機関に対する厳しい監視から始める必要があるようだ。