ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「ありのままの私」を読む

安冨歩さんの著書「ありのままの私」を読んだ。安冨歩さんは元東京大学教授である。私は安冨さんがYouTubeで時事問題などを解説されている番組を見てフアンになった。安冨さんはいつも女性装をされている。今回、安冨さんの著書「ありのままの私」を図書館で見つけた。そこには「ありのままの私」に至る自分探しの旅が書かれていた。

 安富さんは大学教授として「バブルだとか、戦争だとか、環境破壊とか、そういった、誰にとっても良くないことを、どうして人間は皆で一生懸命やってしまうのか?」ということを研究テーマに掲げ、20年以上そのことを研究してきた方である。そして、研究の成果として「自分自身でないものになろうとするから」という答えを得た。

 この著書の冒頭に次のことが書かれていた。自分自身でないものになろうとしても、なれないのは当然です。そうすると「自分自身でないもののフリをする」ということになる。しかし、フリをするのはつらいです。ストレスがたまります。こうして社会全体に、「自分でないもののフリ」が広がり、同時にストレスが広がっているのが現代社会です。
 ところが、このような「自分自身でないもののフリ」をみんなでやってる社会に生まれ育つと、自分が一体何者か、さっぱり、わからなくなります。それで、私自身、いったい自分が何者なのか、さっぱりわからなくなっていることに、気づきました。これは大変だと思って自分自身の中に、「自分自身でないもののフリ」を見つけ出しては剥ぎ取る、ということを10年くらいやってきました。その中で発見したのが、「自分は男性のフリをしている」という驚くべき事実でした。こういう人のことを「トランスジェンダー」と言います。まさか自分がそうだとは夢にも思いませんでした。

 そういうわけで、こうなると「男性のフリ」を続けるわけにはいきませんので、やめてしまいました。ですから 私は「女装」をしているのではないのです。ただ、普通に服を着ているだけなのです。それが女性の服なのです。なので私がしているのは「女装」ではなく、「女性装」と言うのです。これが私の研究と女性との関係ですと書かれてあった。
 自分の中に、「自分は男性のフリをしている」という自分を見つけ、剥ぎとっていったら女性装をしている自分が現れたという話の中には、そこに至る多くの葛藤や苦しみを乗り越える必要があったとも書かれていた。

 はるな愛さんが「あなたは男ですか?女ですか?」と問われて、「私は、はるな愛です」と答えていたが、安冨さんも同じことを言われていた。「私は安冨歩でしかあり得なくて、男でも女でもありません」と言っていた。

 そうはいってもなんとか事情を呑み込んでもらうためにいろんな工夫が行われてきた。それがトランスジェンダーである。トランスとは超えるという意味でジェンダーは性のことである。日本語に直すと性別越境である。この言葉はトランスセクシュアルという概念に対抗して作られた言葉である。トランスセクシュアルは医者による手術によって性別を変更する人をいう。これに対して、トランスジェンダーは手術を受けないで性別越境することである。自分の性別に違和感を覚える人でも、別に手術を必要としないケースは多い。安冨さんもそうである。そういう人で、服装を変更したりという形で社会的性別を踏み越えている人は多い。身体的変容をする人で、社会生活や服装を元のままにしようとする人はいないので、トランスセクシュアルはほぼ必然的にトランスジェンダーであるが、トランスジェンダーは必ずしもトランスセクシュアルではない。

 トランスジェンダー性的嗜好は関係ない。トランスジェンダーの中には、異性を好きになる人もいれば、同性を好きになる人もいれば、両方を好きになる人もいる。これは、トランスジェンダーでない人に、女性を好きになる人もいれば、男性を好きになる人もいれば、両方を好きになる人もいることと同じことである。男だから女が好き、女だから男が好きというようには決まっていない。

 安冨さん自身は身体的には性器形状によって男性と判断されるが、自己認識は女性であり、好きになるのは女性である。無理に分類すれば、トランスジェンダーレズビアンの男性ということになる。

 ホモセクシュアルの男性(ゲイ)は、身体が男性で、自己認識が男性で性的指向が男性という人である。レズビアンの女性は、身体が女性で、自己認識が女性で、性的指向が女性という人である。こういう方々は性認識が一致しているわけだから、トランスジェンダーではまったくない。ゲイの男性で女装している人が結構いる。例えば、マツ・コデラックスさんは、ゲイで女装している人である。ゲイの女装というのは、普通の(ストレートの)男性ではありませんよという記号として採用されている。

 女物の服を着ている人で、生得の性別が男性というケースには大きく分けて次の可能性があるという話であった
1 自分のことを男性だと思っていて、何らかの理由で女装している人(トランスヴェスタイト:TV)
2 自分のことを女性と思っているので、女物の服を着ている人(トランスジェンダー:TG)
3 自分の身体を女性に改変し(あるいはしようと思い)、女物の服を着ている人(トランスセクシュアル:TS)

 安冨さんの著書から性の多様性(LGBTQ)の勉強ができた。私たちは長いこと、男と女は性器の形によって決まり、お互いに異性を求めることを当たり前と考えてきたようだ。そして、私たちの社会は、それに背くことは全て異常と決めつけて育てられてきたように思う。さらに、それに背くことは許されず、違和感を感じる者は自分の内面を隠し、社会に合わせたフリをして生きることを強いられたようだ。しかし、今では、性に関する問題は全てその人の個性であり、その人のありのままに生きることが当然であると認められるようになってきた。しかし、まだまだ、完全とは言えない。依然として偏見と差別があるように思う。私もさらに性の多様性について理解を深めたいと思う。