ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

句会へ参加

 講師が主催する沖浪俳句会に参加した。今回の兼題は「日傘」であった。課題句3句を懐中して出席した。
選句の前に講師から資料の説明があった。資料の裏面には「鷹羽狩行の言葉 名句の条件とは、美しい日本語で、一読して意味が分かり、読むほどに味わい深くなるもの」と書かれていた。講師はその言葉を読みながら、「俳句を詠むときは美しい日本語を使うことを意識してください。汚い言葉では俳句は成立しません。また、一読して意味が分かるとは、分かりやすいということです。ところが、分かりやすい句は、それだけ?それでどうした?と言われるようなものになりがちです。それではダメです。最後にあるように、読むほどに味わい深くなるものに詠んでください」と説明された。講師の説明を聞きながら、作品に余韻が残るもの、余情を感じられるものがいい作品ということかなと考えた。

 選句の後、講師から特選句に上げられた俳句について講評と説明があった。
「日傘より齢忘れのお洒落帽」、特選句に押した人は、この句は日傘の中にお洒落な帽子が見え隠れする様子を詠んだ句と解釈していたが、作者の意図は、日傘は手が塞がって面倒だから夏は帽子に限るという意味で作ったようだ。日傘と帽子の関係は帽子が主で日傘は従である。今日の課題は日傘ですから、日傘が主になるような句を作ってくださいと指摘された。

「立ち話二つかたむく日傘かな」は、夏の暑い盛りに、日傘して立ち話している情景が思い出されるから投票も多かった句である。かたむくという言葉は、江戸しぐさに相手方に迷惑をかけないようにする「傾げ(かしげ)」という所作がある。それを使って講師は「ひがら傘互いに傾げ立ち話」と添削していた。確かに、かたむくより傾げの方が相手を思いやる気持ちが伝わる気がする。

「白日傘くるりと回し裾ひらり」選句者は日傘を持つ女性がワンピースなのか和服なのかわからないが、その女性のひるがえす様子が面白いと思ったようだ。この句の説明を受けて講師が話を続ける。「相見てののちの日傘をひるがえす」という句があります。この句は百人一首の権中納言敦忠の歌「あひ見ての後の心にくらぶれば昔は物を思はざりけり」を元歌にした句です。あひ見ては男女の密会です。ひるがえすには様々な意味が込められますと言いながら話が続けられた。脱線もまた楽しい。

「ひがら傘畳めば熱き息を吐き」この句は意味は分かりますが、もう一つインパクトが欲しいですね。また、結句は動詞で終わると余韻が残りにくいので、できたら動詞で終わらないのがいいでしょう。
添削「磴百段日傘畳めば熱き息」

日傘の句ではないが、「マネキンのどこも曲線衣更」について説明があった。この句は発見の句です。デパートでシーズンの変わり目でマネキンが衣更をしている様子を見た時に気づいたことを俳句にしています。マネキンは全て曲線でできていて、マネキンに直線はないというのは誰も知っていることですが、それに気づいて句にしたのは面白い。発見の句は面白い句になります。

今回、私は次の3句を投句した。                          

  1. 「お昼どき街は日傘の花が咲き」
  2. 「日傘して見上ぐる人や眼鏡橋
  3. 「雨傘で日傘紳士になりすまし」                      

結果は、「お昼どき街は日傘の花が咲き」「日傘して見上ぐる人や眼鏡橋」は共に0票であった。さらに「お昼どき街は日傘の花が咲き」について、凡人と評価された。その理由は、「日傘の花が咲き」は使い古された手垢のついた表現で、そのような表現を使うと凡人と評価されるようだ。手垢のついたような表現は禁句と思っていいようだ。因みに、今日の句会では「旧友の笑顔こぼるる日傘かな」も「笑顔こぼるる」という使い古された表現があるから凡人と評されていた。わかりやすい句を目指して安易に使い古された表現を使うと凡人に陥る。常に言葉の感性を磨く必要があるようだ。
「雨傘で日傘紳士になりすまし」は5票をいただいた。この句について、私は季語があるから俳句になっているが、内心、川柳みたいな句だなと思った。しかし、それ以上修正できずにいた。選句していただいた方の意見は日傘紳士という話題の言葉で面白いと思ってくれたようだ。講師は「なりすまし」という言葉に現代社会の詐欺師集団を思い起こして抵抗を感じたようだ。講師の添削は「雨傘で日傘紳士となりにけり」であった。確かにこれなら川柳ではなく俳句になったような気がする。俳句と川柳は表と裏みたいなものと講師が言われたことがある。俳句は自然や季節の移ろいを詠むが、川柳は人間模様や社会風刺が主である。「なりすまし」と「なりにけり」の違いを確かに感じることができた。俳句の世界をこれからも楽しみたい。