ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「生きる技法」を読む

 安冨歩さんの著書「生きる技法」を読んだ。冒頭、次のように書かれていた。「生きるにはどうしたらいいのか。私はこの問題についてずっと考えてきました。そしてようやく生きるための技法が、少しづつわかってきたように思います。考えてみればそれは簡単なことだったのです。しかし、私が受けた教育や学んだ学問の大半は、この簡単なことを隠蔽するように構成されていました。ですから、この簡単なことを見出すのが、とても大変だったのです。ここに書かれていることはみなさんの人生のお役に立つものと信じます」とあった。

 最初に生きるための根本原理を確認しておきたいと思います それは命題1−1「自立とは 多くの人に依存することである」ということです。多くの人は自立するということは誰にも頼らないことだと誤解しています。私自身長らくそう思い込んでいました。しかし近年、それが間違いであったことが、明らかにされました。この原理を発見されたのは、中村尚司さんという経済学者です。この方は、小学生の頃からずっと「自立とは何か」と考え続け、60年間考えて、ようやく、「自立とは依存することだ」という驚くべき答えに到達されたのです。
 これは、命題1−2「依存する相手が増えるとき、人はより自立する」ということです。往々にして人は、「自立しなきゃ」と思うと、「もっと 人に依存しないようにしなければ」と考えてしまいます。これは間違った命題です。「自立とは他者への依存からの脱却である」という誤った信念の反映です。こんな誤った命題を信じると何が起きるでしょうか。これまで依存していた人になるべく依存しないようにしようと思うと、依存する先を減らすことになります。しかし、そうやって どんどん減らしていったとしても、誰にも全く依存しない状態に至るのは不可能です。人間は誰かに依存しないと生きていけない動物です。完全に一人になり、山奥に引きこもって、自給自足の生活を送る、というのは、ほとんどの人にはできないことです。たとえ山奥に引っ込んだとしても、その山の木を伐採しないでいてくれる人に依存しているということができるかもしれません。だとすると、誰にも依存しない、というのは不可能です。ということは、依存する先をどんどん減らしていっても、全てを切ることはできないわけです。それゆえ最後に、どうしても切れない依存先が残ります。もしその依存先から、「そんなことをすると、お前をもう助けてやらないぞ」と言われると、絶対に言うことを聞かざるを得ません。これはつまり、従属している、ということです。依存先をどんどん減らしていって、少数の他者に依存するという状態こそは、他者に従属している状態です。
 このことから、次の命題が得られます。命題1−3「依存する相手が減るとき、人はより従属する」これを言い換えると命題1−4「従属とは依存できないことだ」としてもいいでしょう。
もしあなたが、人に助けてもらうことはいけないことであり、自分で何とかしなきゃと思って抱え込んでしまう人であるなら、その考えこそが、あなたを人に従属させている原因だとご理解ください。もちろん、何でもかんでも人に頼ろうとして、人が助けてくれないと、当たり散らすような人は、未熟なだけです。しかし、自分が困っているときに、助けを求めることができないこともまた、未熟さの反映なのです。ですからこの場合、命題 1-5 「助けてください、と言えたとき、あなたは自立している」ということになりますと書かれていた。

 私は「助けてください、と言えたとき、あなたは自立している」という言葉を読みながら、奥田知志さんと茂木健一郎さんの共著である『「助けて」と言える国へ』を思い出した。この本の中で、ホームレスを支援する奥田さんは次の質問を受けることがあると語っていた。
「なぜホームレスを支援するのか?なぜ、続けるのか?」その質問に対して、奥田さんは質問者に問い返す。「なぜ、そんなことを問わねばならないのか?困窮者を支援するのに理由が必要か?」
 「この質問の根っこには、困窮は自業自得だ、自己責任だ、助ける必要などないという現代社会の掟が見え隠れする。あえて、答えるならば、支援するのはそれが人間だからだ、それが社会だからだと言いたい」と奥田さんは答えていた。
「自己責任は、主に困窮者本人に対して投げかけられる言葉である。困窮状態に陥った原因も、そこから脱することも困窮者本人の責任だと言い切る。また自己責任だから社会や周囲は助けなくていいという。これが我々の社会の掟だと言わんばかりに、私たちは小さい頃から叩きこまれていないだろうか。その結果として、子供も若者も大人も自己責任論で縛られ、その結果子供たちが『助けて』と言えなくなっているとしたら、それでいいのだろうか。子供たちがある日突然、誰にも『助けて』と言うこともなく自らの命を断つ。日本国は子供をそのように育てていないだろうかと心配する。そんな社会は間違っている。そのような社会がこれ以上続いてはならない」と奥田氏は述べていたが私もそう思う。私たちの社会は、自己責任論による自立者ではなく、助けてと言える自立者を育てていくべきだと思う。