ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「テルマ&ルイーズ」を見る

 この「テルマ&ルイーズ」は33年前の1991年に作られたアメリカ映画である。この映画がデジタルリマスター版4Kとして全国公開中である。デジタルリマスター版4K は画像もさらに鮮明になり雄大な景色も最高の画質で楽しめるようだ。しかし、九州ではすぐには見れないので、とりあえず、1991年版で見た。1991年版でも十分画質を楽しむことができた。
 私がこの映画を見たいと思ったのは、この映画の紹介欄に「この作品は、女性に対するセクハラを話題にして女性の地位をテーマにした映画で、33年の時を経て、女性をめぐる社会環境において何が獲得されて、何が未済であるのか今回の公開はそれを検証するリトマス試験紙としても作用してくれそうである」と書かれていたためである。

 映画のあらすじは次のとおりである。テルマは専業主婦で、ルイーズは独身でウエイトレスをしている。米国中西部の小さな町に住む2人は親友で、日頃の息抜きにドライブ旅行に出かけた。その晩、立ち寄ったバーの駐車場で、テルマはレイプされそうになる。たまたま携行していた拳銃を手にしたルイーズが、危ういところで阻止し男を射殺してしまう。男を射殺したルイーズにテルマは「警察に行って、レイプされそうになったから撃ってしまったと説明したほうがいい」という。「そんな話をまともに信じてくれると思う」と返すルイーズ。結局、二人は警察に追われながらメキシコ目指して逃れていく。

 この映画には、暴力で女性を従わせる男、レイプをなんとも思わない男、女性を食い物にする男、セクハラすることを恥と思わないセクハラが当たり前の男、そして男性中心を肯定する社会、それらに対する反抗がこの映画のテーマである。弱い女性が男社会に反旗を翻してたちあがり、同時に罪を犯しながら強くなっていく姿を追っていく。彼女達が自由を得てさらに自信を得ていく姿を追う。そして追跡を振り切って逃げていくが、とうとう周りをパトカーに囲まれて多くの警察官から銃口を向けられる。「車のエンジンを切って、手を上げて車から出てこい」と警告される。もう投降しか残された道はない。しかし、せっかく自由を手に入れた二人はもはや後戻りなんかしない。お互い笑いながら解放への道へ突き進んでいく。男社会は二人にとって、二度と戻りたくない社会だったようだ。映画の中に出てくる男達がクズみたいな男ばかりで嫌になるが、それでも彼女たちを救うために親身になって全力を尽くす男達が何人か登場するのは救われる。

 この映画の初めの部分で、テルマをレイプしようとしていた男が、ルイーズから首筋に銃を突きつけられてレイプを止める。そして、テルマが解放されて、二人でこの場を去ろうとする時、男が腹立ち紛れに「このクソ女、さっさと突っ込んでりゃ良かった」と叫ぶ。ルイーズはその声を聞いて「何だって!」と聞き返す。男が聞かれて悪びれることなく平気な顔で言う。「俺のをしゃぶりなと言ったんだ」同時にルイーズは銃を発射し男を射殺した。レイプされる女性側の怒りは理性ではコントロールできないくらい極限に達していることを表している。

 33年前は、「セクハラって何?」という感じが社会にあったが、今はセクハラは社会に浸透して、セクハラ被害はずいぶん減少したように思う。しかし、3年前には、森元首相は、「女性が会議に入ると女性の余計な発言で会議が長くなる」と女性蔑視発言を行なった。先月には、麻生元首相は川上陽子外相に対して「おばちゃん」と呼んだり、「そんなに美しい方とは言わない」などと女性蔑視発言につながる発言した。さらに、松本人志事件のように、女性を献上するSEX上納システムの存在が問題になるなど、女性を物扱いする社会構造は根強く残り日本の男性中心社会という構造は全く変わっていないといっていいのかもしれない。
 日本は今なお男性中心社会である。その影は今なお色濃く残っている。男女平等社会というのはまだまだ遠い先である。男女平等社会を目指すには、今なお男社会の中心で君臨している元首相等を老害高齢者として社会から排除することから始める必要があると思った。
 33年前にセクハラを話題にして女性の地位を描いた映画は、日本においても、その問題点を指摘して確かな改善に繋がったと思う反面、33年経った今も根本的には何も解決されないまま男性中心社会が続いている。男女平等社会を実現しない限り日本の再生はないように思う。