福江城の城内には、昔お殿様が子息に家督を譲って、隠居された時の邸宅とそのお庭が残されているということで見学させていただいた。そこは「五島氏庭園・心字が池」として国指定名勝の指定を受けている場所であった。
五島氏庭園は五島藩第30代藩主 盛成が、京都の僧全正にお庭方を命じ作らせたものである。林泉回遊式日本庭園で、江戸時代の伝統的日本庭園の好例であるとともに、溶岩や南方系植物など地方の特色ある風土が加味された貴重な庭園であることなどから、国指定名勝の指定を受けることとなった。
回遊式庭園なので、お庭を巡ってみると、まず最初に目に入ったのがこの石灯篭である。この石灯篭の設置向きはお庭の方でなく、屋敷を向いている。回り込んで正面から見てみると堪忍と刻まれていた。この堪忍の書は藩主盛成公の直筆ということであった。盛成公が立腹したとき、この石灯篭を見て自重したのではないかと想像すると、藩主の人となりが偲ばれる。
説明文に「文久年間、造園の折、中国福建省より移植された竹で金明竹という」とあった。今から160年以上前、この庭園を造るときに中国からわざわざ取り寄せた、そのこだわりに驚嘆する。
庭園の一隅に造られた忍び通路の「抜け穴」。異変があった場合、殿様の安全を確保するための抜け穴が造られていた。
「この五重の塔(石灯籠)は、第二十代藩主、純玄公(すみはる)が文禄の役に、軍船十七艘、属船八艘に分乗し総勢七百余人を率いて出兵し、小西行長軍に属しその先手となり軍功を収めた。その記念として備えられた」と案内板にある
この大楠は樹齢八百五十年を超えると推察されている。福江城が築城される以前より、この地を見守り続けている。五島家の御神木として奉られている。
「心字が池」は心の字を象ってつくられたため、この名前が命名されたそうだ。築山や中島が池の周りに配置され変化があって楽しい。また男女群島から移植した「オオタニワタリ」や「ビロー樹」などの亜熱帯植物が繁茂している様子や庭石に五島の溶岩石を用いているのも五島ならではの風土が加味されていて面白く思った。四季折々の変化も楽しんでみたいと思う。