昨夜寝る前に、早起きしたら「香焼階段登りコース」のウオーキングをしようと思いながら休んだ。目を覚ましたのは7時ちょっと前。外は明るくなっている。早起きではないが、予定通り階段登りコースのウオーキングに行くことにした。
青ピンをスタートしてまず今日の最初の「階段登りコース」である魚見大橋に向かう。今日の長崎市の日の出は7時9分である。香焼小学校前ですでに7時36分であるが、東を見ても山肌に隠れて日の出は見えない。しばらく行くと香焼港に出る。香焼港から東を見ても明るくなっているがまだ日は上がらない
香焼港を過ぎて道なりに進むと魚見大橋が見えてくる。魚見大橋は道路にかかる陸橋である。今日の「階段登りコース」の最初の挑戦である。魚見大橋の階段は142段である。階段数でいうとたいした数ではないが、しかし、ここの階段は登りにくいし余計に疲れる階段である。それは、ここの階段は普通の階段より高く、さらに階段の平面の奥行が長いため交互の足で階段を登れない。一歩余計にステップを踏むので、常に片足だけが階段を登るようになる。これがきつい。途中何度か階段を上る足を交代させながら登って行く。
やっとの思いで魚見大橋にたどり着いた。高所恐怖症の私にとって下を見ると怖い。あまり手すりに近づかないようにして写真を撮る。
魚見大橋の海側の山は公園になっており高台には展望台がある。その展望台までさらみ116段階段を登っていく。山道はきれいに整備されていて歩きやすい。
展望台に到着したら対岸の城山から太陽の光が差し込んできた。この展望台から360度の景色を楽しめる。北東方面には長崎港の入り口である女神大橋が見える。南西方面には野母半島の連なりが見える。
魚見大橋公園の展望台で景色を楽しんだ後は次の階段登りコースである円福寺参道へ向かう。円福寺は、弘法大使が香を焚きお祈りをした場所で「香焼」の名前の由来となったと言われている歴史のあるお寺である。その参道は高度海抜1mから高度110mまで続く604段の階段である。「香焼山」と刻印された鳥居から参道が始まる。
ここからお寺の入り口まで354段の階段が続く。階段は長いが、歩きやすい階段である。手摺りも作られていて助かる。途中には公園があり休憩椅子も準備されている。今はお寺の前まで車道ができており、この参道を歩いてお参りする人はあまり見ない。しかし、昔はお寺に行くにはこの参道しかなく、参拝する人は一歩一歩踏みしめて登って行ったのだと思うと昔の人の信仰心の強さを思わずにはいられない。
354段の階段を登って、円福寺に到着。円福寺は「長崎県新観光百選の地」に選ばれているお寺である。奥の院にお参りする前に史跡や文化財を見学する
円福寺の梵鐘は元禄五年(1692)に作られ、また六地蔵石幢は享保二年(1717)に建立されたもである。檀家から寄進されたこれらのものは貴重なものとして市指定有形文化財に指定されている。
1746年11月27日に香焼沖で暴風のため唐船が遭難し船主以下55名の唐人が犠牲になった。犠牲者は遭難場所に近い海岸に埋葬されていたが、七回忌に当たる1752年長崎在住の中国人によって現在地に改葬され、同時に「唐人海難者改葬供養塔」が建立された。この供養塔は当時の形態をよく残しており、また、遭難者名や建立した中国人商人の名前など刻まれており、日中交易史に関する貴重な資料として史跡に指定されている。
本堂からさらに147段階段を上ると奥の院である。奥の院まではなかなか登る機会はないが、今日はいい機会だからお参りすることにする。奥の院は岩場を削りそこに石の祠を建てたような造りである。ここで弘法大使が香を焚いたのだろうか?よくわからないが何か神秘性を感じるような場所である。
奥の院で行き止まりと思っていたら、倒木の先にも狭い道がある。足場はあまり良くないが、階段があるのでさらに登っていくことにする。階段を数へながら登っていく。103段登ったら広場に着いた。山頂は広場みたいに開けている。そしてそこには金比羅大権現を祀った小さな祠があった。高度110m今日の最高高度である。
しばらく広場で小休止して下山する。石仏に出会い、見送られながら階段を下りていく
今日の「階段登りコース」のウオーキングでは862段階段を登った。上り下り合計1734段である。心地よい汗をかいたウオーキングであった。