ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「属国民主主義論」を読む その2

属国民主主義論から引用する。
「2013年に「プラトン」や「ウォール・ストリート」」を作った映画監督のオリバー・ストーンが広島に来て講演したことがあった。その時に、「日本はアメリカの衛星国であり、属国である。日本の政治家はただアメリカの使い走りをするだけである。アメリカの言うことを聞かない政治家はすぐにホワイトハウスによって首を切られる。だから、日本の政治家でかつて国際社会に対して、指南力のあるメッセージを発信した人間は一人もいない」と言い切った。この発言はかなり物議を醸す取ろうと思った。ところが、全く話題にならなかった。新聞もテレビも無視した。アメリカの映画監督オリバー・ストーンが広島に来て、講演をしたということまでは記事にしたが、その「属国発言」については完全にスルーした。

私はこれはおかしい現象と思った。オリバーストーンの言う通りだと思うなら、「その通りだ」と書けばいいし、間違っていると思うなら、「ふざけたことを言うな、日本は立派な独立主権国家であり、アメリカの属国などではない」と書けばいい。でも、日本のメディアはただ無視した。日本がアメリカの属国であり主権国家ではないというのは、日本人にとって当否を論じるべき話題ではなく、そもそも「話題にしてはいけないこと」なんだということが、その時身に染みて感じた。

属国の病は深い。まさに「否認」である。知っているけれど現実として認めていない。しかも徹底している。これはきっと「タブー」とも違う。日本イコール属国という話がタブーならば、これを口にしている我々は猛反発を受けるはずだが、猛反発は受けない。あたかもそんな事実などないかのように振る舞う。だから、「属国であることを否認している属国」という点に日本の対米従属の特異性がある。

現在、「日本はアメリカの属国だ」と私たちが言っても、耳を傾けない人の方が圧倒的多数である。そのうち本当の意味でアメリカの植民地になり、ひたすら収奪される対象になったとき、あるいは清朝末期における買弁のような形で、日本の国富をアメリカに売り渡すことによって、自分たちの権力基盤を確保し、政治的に延命しようという人たちによって指導層が占められた時には、さすがに市民も現実に目覚めて、「もう我慢できない」と「一揆」が始まるかもしれない。「自民党と維新の二大政党制」のような事態になって、限界まで日本がダメになったら、何か起きるかもしれない。でも、それまではジワジワと滅亡に向かっていくだけかなという気がする。

確かに現在も買弁みたいな振る舞いが既にたくさん起こっているが、それが特別に問題にもされないのだから、独立心とか民族のマインドというものが落ちるところまで落ちてしまってるという状況にある。
米中が新冷戦と言われる対立関係に入る中で、我々にとって一番怖いシナリオは米中の軍事的直接衝突である。覇権国の交代というような歴史的大事件は、大きな戦争を通じて確定する場合が多い。大量死が起きないと歴史の「落とし前」がつかないということかもしれない。だから戦争が求められてしまう。とはいえ中国人もアメリカ人も死にたくないから、正面からぶつかることは避けたい。でも誰かに死んでもらわなくては決着がつかない。では、誰にその役割を果たしてもらうかとなったときに、「ちょうどいいのがいるじゃないか」と、その舞台に、日本があげられるのではないかと思う。なぜ「日本でいいや」という話になるかというと、日本が地理的に両者の間にあるからというだけではなく、今の日本人には誇りというものがないからである。本当の意味での自尊心というのが全くない。属国であるという事実を見ようともせず、自由と独立の憧憬すら失って、逆にそれらを唱えるものを抑圧することによって成り立っている本物の奴隷の国なのだから、その国民は軽蔑すべき、唾棄すべき存在でしかなく、命の価値が低いと国際的にみられる。
どうしても誰かに死んでもらわなければならないとすれば、出来る限り残酷さを抑えるためには、最も価値の低い命を犠牲にするのが一番合理的である。私が日本のことをよく知るアメリカ人や中国人だとしたらそう考えます。「この人達だったらいくら殺しても別に良心は痛まない。だってこの人たちは、自分自身に価値があると自分でも思っていないんだから」と。自分自身に価値を認めていない人間が他人に価値を認めてもらえますか、という話です。日本は米中対立の狭間で、そういうところへどんどん追い込まれている気がします。」と書かれている。

日本は属国なのに属国ではないと言い、国家主権がないのにあるという話にして、みんながそれを信じているふりをして過ごしている。日本で普通に生きていると、この異常な状態が常態かしているので、国内に住む限り何も違和感を感じない。

しかし、著書の中にあったように国際的にはそのようないかさま論理は通用しない。多くの国々から「日本は独立国ではない。アメリカに占領されているから主権国家ではない」と見られている。しかも、自由と独立への憧憬さえ失った軽蔑すべき国民と見られていることもあるようだ。その結果、大国に命を弄ばれるような惨めな立場に陥ることも予想される。子孫にこのような国を遺すのは慚愧に耐えない。