ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「主権者のいない国」を読む (1)

 白井聡さんの「主権者のいない国」を読んだ。私は、現在の日本は壊れ始めているのではないかという漠然とした感じを持っていたが、何がどのように壊れているのか具体的に説明できないでいた。白井聡さんの著書を拝見して、私が漠然と抱いている不安の実態が何であるのかがよくわかった。また、問題の本質というものを理解することができた。著書の中の白井さんの発する言葉は、問題の本質を一刀両断するような、切れ味鋭く真に本質に迫るものが多くあった。私は、白井さんの著書から多くのものを学ぶことができた。学ぶことができた一つは「戦後の国体の終焉と象徴天皇制の未来」であった。その中で次のことが書かれていた。
「2018年9月、靖国神社宮司(当時)小堀邦夫の問題発言が発覚した。小堀は内輪の会合で次の言葉を口にした。『陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていく。どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はない。遺骨はあっても御霊はない。はっきり言えば、今上陛下は靖国を潰そうとしているのだ。わかるか?』この発言が報道されると、『あまりに不穏当で不適切』との批判が高まり、小堀は宮司を辞任した。しかし、この発言の問題性は、言い回しが乱暴であるという次元ではない。問題は、この発言があまりにも正確に靖国問題の核心を射抜いているという点にある。
 A級戦犯の合祀 発覚(1979年)以降、天皇靖国親拝は一度もなく、平成の代になると天皇による旧戦地への慰霊の旅が突出した存在感を醸し出してきた。その時『霊』はどこにあることになるだろうか。もっぱら旧戦地で天皇が慰霊の儀式を行うことで霊が靖国ではなく、そこにいたことが示唆され、靖国では戦没者の霊魂が希薄になるのだ。論理はそこにとどまらない。霊の居場所である(と右派が考える)靖国があるにも関わらず、霊が死没の地にとどまっているとするならば、その霊たちはそれぞれの絶命の場所をさまよっていたことになる。このことは、靖国が自分たちを慰めてくれる居場所であると霊たちが感じていない、したがって靖国が無意味であることも含意する。・・・・そして、小堀にとっては痛恨の極みであることには、この『実績』の中核をなすのは『公務』、とりわけ慰霊の旅、すなわち靖国の存在意義を無化する実践なのである。
 だから、小堀の問題提起は 徹頭徹尾精確だ。靖国神社が潰れるのか、それとも 象徴天皇制が潰れるのか。それは言い換えれば、古代的な神権政治の装いの裂け目から近代的な国家カルトの底の浅さが垣間見える施設が生き残るのか、それともそんな場所が戦没者の『霊』にとっての然るべき居場所であることを否定した象徴天皇制が生き残るのか、という問いだ。
 この問いに決着をつけないまま放置したのが、『菊と星条旗』の曖昧な結合が君臨し続けた『戦後』という時代だった。しかし『戦後の国体』が崩壊機を迎えた今、この問いは答えを与えられなければならなくなったのである。
この問いは、より一般化すれば、『戦後の国体』をどう始末するのか、という問いへと不可避的につながる。なぜなら、靖国史観のごときものが敗戦にもかかわらず曖昧に生き延びることができたのは、アメリカによる属国化と引き換えに、一種のお目こぼしの恩恵を受けたからだ。親米ウヨク支配層は、アメリカに対して従順・忠実である限りにおいて、戦前の国家主義の紛いものを鼓吹することを黙許されてきた。
 だから、いまや我々は二つに一つを選ばなければならない。靖国職員が言うように、『陛下の首に縄をつけて靖国神社まで引っ張って』きて、現代の日本の若者がアメリカ覇権の持続のために安心して命を捧げられるようにするために、天皇に祈らせるのか、それとも『靖国的なるもの』をこの社会から追い出すのか、それが問われているのである」

 明仁天皇戦没者の慰霊の旅を続けておられたことは私もよく存じ上げている。そのことは、象徴天皇としてのお仕事として取り組まれていることと考えていたし、有難いことであると単純に思っていた。しかし、戦没者慰霊の旅は靖国神社否定につながる行為と靖国神社職員は理解していたことを知って驚いた。そしていま、いまや我々は二つに一つを選ばなければならない。靖国職員が言うように、『陛下の首に縄をつけて靖国神社まで引っ張って』きて、現代の日本の若者がアメリカ覇権の持続のために安心して命を捧げられるようにするために、天皇に祈らせるのか、それとも『靖国的なるもの』をこの社会から追い出すのか、それが問われているのであると書かれていたが、当然、『靖国的なるもの』をこの社会から追い出すしかないと私は考える。