ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

資本主義は、もう「戦争」でしか成長できない

2016年7月に行われた思想家・内田樹氏と政治学者・白井聡氏の特別対談を拝見した。
「資本主義は限界である。経済成長も限界である」ということが言われている。そういう中で、経済成長が必要とされるケースというのは2つしかない。すべてを失ったときと、これからすべてが始まるときである。どっちにしても、何もない状態です。だからあくまで経済成長を追い求めるならば、「すべてを失った状態を創り出そう」ということになる。つまり戦争です。地震のように天災ですべてを失くすということもあるけれども、それだと自然まかせになってしまう。となると戦争しかない。

今、日本でもこんなに景気が悪いのは、世界の資本主義全体が煮詰まってきているということが大前提としてある。ヨーロッパは多くの国で日本以上にひどい状況だし、中国や東南アジアも危うさをはらんでいる。この局面から脱出するには、大量破壊をやって人為的に需要を創出するしかないと考える人もいる。そうです。「あとは戦争しか手が残っていない」と考えているビジネスマンはいっぱいいると思います。

人間が生きていくため絶対に必要な社会的インフラというものがあって、それが破壊されたら、また一から造り直さなければならない。それがないと生きられないんですから、仕方がない。だから、未来を担保に差し出しても、命を削っても、ある限りの国民資源を吐き出して、建物を造って、道路を造って、水道を通して、交通を通して、破壊されたものを全部ゼロから造り直さなければならない。確かに、そうすれば膨大な需要が発生する。でも、これは国民的な「ストック」を食いつぶして、それを「フロー」に流し込んでいるだけの「みかけの繁栄」に過ぎない。国そのものは痩せ細ってゆくけど、目先の経済成長を目指してこの道筋を描く人たちがいる。

資本主義的な観点で言えば、兵器産業こそ理想の産業なんです。「自動車産業は裾野が広い」とよく言われるが、兵器産業も同じで、その下に鉄鋼、プラスチック、ガラス、ゴム、コンピュータ、石油、ゼネコンと、ほとんどすべての産業がぶら下がっている。加えて、ふつうの商品は市場に投入されると、ある時点で飽和してしまうから、需要が鈍化するのだけれど、兵器というのは市場に投入されればされるほど、市場が拡大していく。だって、兵器の主務は他の兵器の破壊ですからね。同業他社製品どころか、自社製品だって、ばんばん破壊してニーズを作り出してくれる。過剰生産で市場が飽和するということが絶対にない「夢の商品」なわけです。ですから、ありえない経済成長に最後の解を求めた人たちが「戦争をやろう」「兵器を作ろう」ということになる。目先の利益を考えて、「戦争をして欲しい、ただしうちの近くは困る。うちの裏庭じゃないところでなら、いくら戦争をやってもらっても構わない」と考える。日本では安倍政権が兵器の輸出を後押ししているから、産業界では今頃、「どこかで戦争が始まりますように」と祈願しているんじゃないですか。「そろそろどこかで戦争でも起きてくれないことには、日本経済も立ちゆかなくなってきますなあ。さすがに日本の国土でドンパチやられたのではたまらないから、私はインドあたりで戦争が起きてくれれば、我が国としては一番有り難い展開になると思ってますよ」とズバリ言った大会社の社長さんがいるそうですね。思うのですが、この社長さんは、他の人よりも少し率直なだけなのです。自覚のないまま、事実上この思想に賛成し、加担しているという状況こそ、最悪ですね。

ただ、「どこかよそでやってもらえれば」なんて、そんなに甘いものではないでしょう。何かしら日本にも飛び火してくるはずです。それこそグローバルな連鎖のリスクが高まっていますから。

2016年に行われたこの対談を見て、現在のウクライナ侵攻はこの予言通りになったのではないかと感じた。ウクライナ侵攻によって産軍複合体の兵器産業が大儲けをしてそれを牽引車として資本主義が成長していく図式が如実に表れていると思った。

ウクライナ侵攻はプーチンが起こした戦争と日本では一面的な報道がなされているが、世界的評価は必ずしもそのような一辺倒な見方ではないようだ。アメリカを含むNATOとロシアとの対立であり、NATOによる東方侵略がプーチンウクライナにおける民族自決の口実を与えたという見方も世界にはある。その結果、ウクライナで戦争が勃発して、兵器産業を持つ関係国は武器を提供し、その戦争によって経済成長していくという資本主義の成長図式通りである。

お二人の対談を読んで、戦争を期待する人がいるなど信じたくないが、このような思惑で世界が動いているのが現実であろうと思った。戦争は大国では起こらない、ウクライナのように緩衝国で起きるとあった。日本は大国の間にあるその緩衝国である。対談で語られていた「どこかよそでやってもらえれば」なんて、そんなに甘いものではないでしょう。何かしら日本にも飛び火してくるはずです。という予言が当たらないことを祈るしかない。