茂木四国八十八ヶ所霊場巡りの最終回である。最終回は茂木地区の十三ヶ所の霊場巡りである。今日の十三ヶ所のうち十一ヶ所は町中にあり、容易に参拝できるが、2ヶ所だけは茂木町から外れて山の方に入った場所に祀られている。この山の中の霊場に行くにはロープ場などの険しい山道がある。しかも、滅多に人が通らないため途中の山道は崖が崩れ、倒木が道を塞ぎ、また藪になっているところもあるようだ。道を塞いでいる倒木があれば回り道をしながら道を探しながら行く必要があるという話であった。今日は町中の参拝と思って、私は登山靴ではなく、普通の運動靴で参加した。この靴で険しい荒れた山道を歩けるか不安に思ったが、八十八ヶ所巡りを満願成就するには避けて通れない。ここまで来たら、何としても完遂したいと思い運動靴で山の中に入って行くことにした。
今日の集合場所である茂木町の北浦バス停から歩いてすぐのところに、第10番札所である切幡寺のお堂がある。ご本尊は千手観世音菩薩である。読経してお詣りする。
第10番札所から5分ほど歩いて行ったところに小さなお堂がある。ここが第11番札所である藤井寺のお堂である。ご本尊は薬師如来である。読経してお詣りする。
これから今日の一番の難所である84番札所と85番札所へ向かう。アドバイス通りの難所である。最初は荒れた山道を歩いていたが、いつの間にか、道なき道を進むという感じになった。尾根まで登って尾根伝いに行った方が歩きやすいと思うが尾根は行き止まりになっているのか、巻道を進む。巻道といっても道なき道だから油断すると滑り落ちる。登山靴でないので足を滑らせ何回か滑り落ちそうになるが、木や枝を掴み身体を支える。そして、這うようにして戻り、すり傷を作りながら難所を超えていく。そして84番札所である屋島寺のお堂に着く。屋島寺のお堂は洞窟である。屋島寺のご本尊である十一面観世音菩薩のご尊顔を拝す。読経してお詣りする。
続いて85番札所へ向かう。ここも道なき道を進む。道は竹林の中にあるのだがその竹林の中は多数の竹が折れたり倒れたりして道が寸断されている。昔、人の手が入っていた時は倒木があるたびに排除され道が確保されていたのだろうが、今は、人の手が入った様子がない。もはや昔あった道は通行不能になろうとしている。そのような中を倒木を排除しながら、ようようの思いで、竹林を抜けて85番札所の八栗寺へ到達。ご本尊は聖観世音菩薩である。読経して参拝する。
難所の札所を参拝して山を降りてきたところで農作業をされている方と出会い挨拶する。山の上の札所を参拝したことを告げると「よく場所が分かりましたね」と驚いておられた。山道が荒れていくのは猪が蛇を捕食するために道を掘り起こすのだそうだ。猪は蛇がいると睨んだら牙で大きな石も動かしながら掘り返していくそうだ。道が荒れるのは単に風化だけではなく猪が掘り起こしているのが一番の原因らしい。
山を下りて、平道を進んでいくと第86番札所である山志度寺のお堂に出る。ご本尊は十一面観世音菩薩である。読経して参拝する。
茂木の町中の古い一角にはお堂があちこちの角に立っている。最初に行ったのは第44番札所である大宝寺のお堂である。ご本尊は十一面観世音菩薩である。次に第2番札所である極楽寺のお堂へ行く。ご本尊は阿弥陀如来である。そして第一札所である霊山寺のお堂へ行く。ご本尊は釈迦如来である。それぞれ読経してお詣りする。
次は茂木玉台寺の境内の一角にある第7番札所である十楽寺のお堂へ行く。ご本尊は阿弥陀如来である。読経して参拝する。次に潮見崎観音堂へ行く。潮見崎観音堂の境内には4つの札所が祀られている。参道を進むと、まず第23番札所である薬王寺のお堂に着く。ご本尊は薬師如来である。読経して参拝する。
さらに参道を上っていくと、第18番札所である恩山寺のお堂に着く。ご本尊は薬師如来である。さらに参道を上っていくと第83番札所である一宮寺のお堂に着く。ご本尊は聖観世音菩薩である。読経して参拝する。
そして、今回の茂木四国八十八ヶ所霊場巡りの最後の札所である第52番札所太山寺のお堂へ到着。潮見崎観音堂が第52番札所である。ご本尊は十一面観世音菩薩である。お詣りする前にリーダーから、「いよいよ最後のお詣りになりました。しっかり声を出して、そして声を揃えて読経してください」と指示されお詣りをする。結願する喜び、満願成就できたことへの感謝を込めて読経する。
茂木四国八十八ヶ所霊場巡りを結願した。夏の一番暑い時期に日に照らされて歩くことは苦しみでもあったが、今終わって振り返ると自己鍛錬であったと思う。私にとって今回の茂木四国八十八ヶ所霊場巡りは、亡き肉親に思いを寄せる旅であり、自己を見つめる旅であった。実父母、兄弟姉妹の近しい全ての人を見送り残された今、自分にできることは読経しかないと思って八十八ヶ所巡りを行った。今、結願し、一区切り終えたという気持ちである。これからも亡き肉親の冥福を祈って回向したいと思う。