ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「運命の船『宗谷』発進」を見た

 NHKの番組であるプロジェクトX「運命の船『宗谷』発進」を見た。この番組には「南極観測・日本人が結集した880日」というサブタイトルがつけられていた。この番組は2001年に放送された番組で、これまでも何度か再放送されたようだ。そして、2022年の今年、番組が作られて20年以上経って、さらに再放送されたことになる。私は、南極観測船である「宗谷」の名前はもちろん知っている。知っているどころか、「宗谷」は私が住んでいる香焼町の造船所で造られた船であり、香焼町の誇りとしている船である。宗谷が香焼町で造られたことで、誇りとしているとは言っても、それ以外の宗谷のことは何も知らない。この番組を見て、さらに宗谷のことを知ろうと思って見ることにした。

 番組では、宗谷の話題の前に、まず南極観測隊について語られていた。日本が戦争に負けて、あらゆる物を失い、国民全てが貧しい生活の中で祖国の復興に明け暮れていた1954年(昭和29年)、東京大学地球物理学教授の永田武の元に1通の国際郵便が届いた。永田は、戦前、地球物理学でノーベル賞候補に挙げられるほどの学者であった。便りは、1956年の国際地球観測年に行われる南極の共同観測実施についての案内であった。永田は、ベルギーのブリュッセルで開かれたその会議に参加した。会議の参加国は戦勝国ばかりであった。その会議の中で、オーストラリアとニュージランドの代表者から、「なぜ日本人がこの会議にいるのだ。日本は国際舞台に出てくる資格はない」と非難された。フランスの議長から永田は「日本は観測に参加できるのか?」と問われた。永田は悔しさが込み上げた。そして、決然と言った「日本は参加できます」

 永田は帰国して政府へ南極観測への参加を訴えた。大蔵省、文部省、運輸省、あらゆる役所へ南極観測隊について陳情を行なった。大蔵省からは「南極観測なんかにお金は出せない」と拒否された。敗戦間もない時期であり、日本には南極観測隊を派遣する余裕は国としてなかった。国からよい返事はもらえなかったが、それでも永田は諦めきれずあらゆる機会を通じて方々に南極観測を訴えた。そういう中、一人の男が永田の元を訪れた。朝日新聞社編集局長の広岡知男である。広岡は言った。「私も同じ気持ちです。日本は南極観測に参加すべきです。日本は戦争に負けて、全ての国民が縮こまってしまっています。観測という学問の分野で活躍する場を得ることは、絶好の機会です。ぜひ参加すべきです。学術の分野で世界の平和に貢献するということは、新生日本の進むべき道を示す狼煙になります。自信を取り戻せます」と言って、新聞紙上で南極観測隊を支援する一大キャンペーンを行った。さらに南極特集記事を掲載して、国民一人ひとりの力を結集して南極観測隊を送りだそうと訴えた。そのキャンペーンに呼応して、全国から多くの寄附が集まった。その中には、全国の小中学校の児童生徒による小遣いの寄付が多数含まれていた。また、全国1000社に及ぶ企業がさまざまな寒冷地観測などに伴う技術の協力や提供の申し出があった。まさに国を挙げての南極観測隊派遣となった。そのような国民運動ともいうべき南極観測隊への国民の熱意を受けて、国も南極観測隊派遣を決定し、文部省は観測隊を全面的に支援することとなり、また観測船の提供と運用は海上保安庁が担当することが決定した。海上保安庁は、当時、海上保安庁が所有し灯台補給船として使っていた「宗谷」を改修して使うことを決定して、ここに南極観測船「宗谷」が誕生した。

 

 「宗谷」物語はここから始まるわけであるが、私はその前に、南極観測隊がどうして生まれたのかという日本人が結集した話に感動した。日本が敗戦からまだ立ち上がれない時代、国民全てがまだ貧しい生活をしている時代の話である。永田教授は国際会議に出かけて各国代表から見下され、国際会議に参加する資格はないと罵倒された。永田教授はその悔しい思いを学問の場で見返してやろうと心に決めた。しかし、日本政府からは、日本は貧乏で南極観測に行くお金は出せないと拒否された。その時、朝日新聞の広岡氏は日本人が自信を失っている状況を打開する方法を探っていて、この南極観測隊に目をつけた。これを起爆剤に日本人の誇りと自信を取り戻そうと思った。そして、二人の願いは多くの国民の支持を集め、また小中学校の児童生徒の共感をも得て一大国家事業となっていった。

 国家的事業、国家的催事はいろんなものがあるだろう。今度の東京オリンピックも間違いなく国家的事業である。しかし、同じ国家的事業と言っても何という違いなのかと唖然とする。南極観測隊派遣事業は、時の政府も、役人も政治家も民間人も全ての国民が私欲を捨て真剣に日本国のためにという公の観念で取り組んだ結果であった。それに比べて、東京オリンピックは時の政府も役人も、政治家も民間人も国家という公の観念を忘れ私欲という自己の利益を得ることにだけ熱中したことを思うと、この60年の日本人の変わり具合に驚きを禁じ得ない。日本人は間違いなく劣化していると言っていいのではないかと思うがどうだろう。いやいや、東京オリンピック問題はあくまで一部の日本人の問題であり、大多数の日本人は60年前も今も変わらない公の観念を持っているから心配ないと言ってくださる方が出てくるのを待ちたい。南極観測隊を日本人として誇りに思うし、またそれを支援した当時の日本国の先人全てに感謝したい。