原発の処理水を「汚染水」と発言した野村農林水産大臣が、13日の内閣改造を前に「今日が最後の会見になる。私はもう年齢も80歳になるので、ちょっと疲れたなという思いがある。ここらでよかろうという気持ちが自身にはある」と述べ、続投する意思がないことを明らかにし、また、福島第一原発の処理水を汚染水と発言したことについて「福島の皆さんに大変迷惑をかけた」と改めて謝罪の意思を示したという記事を先日見た。
野村元農林水産大臣の失言について新聞を見ると次のように書かれていた。
野村農林水産大臣は、中国による日本産の水産物の全面的な輸入停止への対応を協議するため、8月31日午後、総理大臣官邸で行われた会議に出席した。
野村大臣は会議のあと、記者団に対し、「それぞれの役所の取り組み状況あるいは、汚染水のその後の評価などで情報交換をした」と述べて、処理水を中国が使う「汚染水」と発言し、岸田総理大臣は全面的な謝罪と発言の撤回を指示した。
これを受けて、野村大臣は31日夜、記者団の取材に応じ、「処理水を汚染水と言い間違えたことについて、全面的に謝罪して撤回したい。福島県の皆さんをはじめ一生懸命になっている関係者の皆様に不快な思いをさせて申し訳なかった」と述べて、発言を撤回し、謝罪した。そのうえで「今回の反省を踏まえて改めて緊張感を持って水産事業者に寄り添った対策の実施に万全を尽くしてまいりたい」と述べた。
福島第一原発で事故の直後から発生している汚染水に含まれている放射性物質の大半はALPSと呼ばれる専用の設備で除去されている。このため、日本政府は、海への放出を始めた水について、「ALPS処理水」という表現を使っているが、放出に反発する中国政府は「汚染水」という表現を使って批判している。
それについて、立憲民主党の山井国会対策委員長代理はNHKの取材に対し「漁業関係者を風評被害から守るべき立場の大臣が風評被害を助長するありえない発言で、絶対に言ってはならない。農林水産大臣としての信頼は地に落ちた」と述べた。また、立憲民主党の国会対策を担当する幹部はNHKの取材に対し「風評被害を防ぐ立場にある人間が風評被害を助長する不適切極まりない発言だ。党としてどう対応するかは決まっていないが、国会で閉会中審査も控えており、大臣を辞任すべきではないか」と述べた。
日本維新の会の遠藤国会対策委員長はNHKの取材に対し「NGワードの極みだ。国際状況を踏まえても、担当大臣として極めて不適切なことばづかいだ。猛省を促すとともに、厳しく指摘していく」と述べた。
公明党の石井幹事長は記者団に対し「状況がよく分からないが、福島の方や漁業関係者にも迷惑をかける発言であり、当然撤回してきちんと謝罪すべきだ」と述べた。
国民民主党の玉木代表は記者団に対し「水産物の生産や流通に責任がある農林水産大臣から『汚染水』といったことばが出るのは極めて軽率で容認できない。特に風評被害を乗り切ろうとしている東北を中心とした漁業関係者や農家の皆さんにも大きな失望を与える発言だ。撤回の上、政府の中でも厳しく引き締めてもらいたい」と述べた。与党野党に限らず、ごく一部の政治家を除いて、誠に厳しい批判が数多くの政治家から相次いだ。汚染水と処理水を言い間違えたからと言ってこんなに厳しく糾弾されなければならないのか不思議に思った。
汚染水という言葉は風評被害を広げることになると、野党の方が言っていたが、言葉の問題は本質の問題ではない。むしろ、海洋放出すること自体が実害であり、海洋放出することから風評被害が生じている。風評被害を心配したり、地元の方のことを真剣に考えるのであれば、地元の方が反対している海洋放出をまず止めることしかないと思う。野党でありながら、そこに努力しないで言葉の使い方を糾弾して、地元の方に寄り添う姿勢をアピールするのはそれこそ言葉だけと言う感じがする。
汚染水と処理水問題は、自民党お得意の言葉ロンダリングだと思う。言葉ロンダリングとは、言葉を言い換えることによって、悪いイメージを都合の良いイメージに変える騙しのテクニックである。自民党政治では「敵基地攻撃能力」は「反撃能力」に、「武器輸出三原則」は「防衛装備移転三原則」に言い換えてきた。中身は何も変わらないが有権者の反発を避けるために言葉で誤魔化す手法である。
そのようなことを思いながら新聞を見ていたら、岸田政権は福島第一原発の処理水海洋放出を巡り、反対論の沈静化に本腰を入れているという記事があった。その記事のなかで、「一部野党議員の放出批判は、理不尽に反対する中国に味方することと同じであり、ALPS処理水を汚染水と呼ぶのは偽情報の拡散であり、風評被害につながる。処理水の海洋放出という国策への賛否は、愛国心を図るバロメーターである」というようなことが書かれていた。
ここまで来たかと思った。いま、日本では、個人の考えや思いが集団の利益に沿わない時には愛国心がないと見られることである。非国民と見られることである。個人個人が自由にものを言う日常生活が押しつぶされていくのが戦争前の状況であった。汚染水と言う言葉を使うものは非国民と言うレッテル貼りがなされる。集団のために個が押し潰される。個に対する集団の圧倒的優位という現象が、また日本で起こっていることが本当に心配である。