ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

伊王島散歩

青点をスタートとして矢印方向に進み赤点に戻るコース。距離5.66km、最低高度2m、最高高度75m、総上昇高度108m、天気晴れ時々曇り、気温24度、湿度84%

ここしばらく暑くて散歩も控えていたが、今朝、窓を開けると心地よい風が吹いている。気持ちの良いウオーキングができそうな天気に誘われて、久しぶりに伊王島を歩こうと思い伊王島港にやってきた。

 

今日の伊王島散歩のスタート地点は伊王島港である。「いおうじま」の“いお”は魚のことで、「いおうじま」は魚の多い島という意味であると昔聞いたことがある。海がきれいだから、確かに魚はたくさんいそうな感じはする。伊王島は釣りも楽しめそうである。釣りは次回にして今日は運動不足の解消を兼ねて歩き始める。

 

伊王島港をスタートして、まず、伊王島海水浴場を目指す。伊王島はリゾートアイランドである。沿道に沿っていろんなタイプのオシャレなホテルが建ち並んでいる。アイランドナガサキを過ぎると、海岸線に沿って道は続く。青い海を見ながらのウオーキングは気持ちが良い。

 

海水浴場に到着。伊王島海水浴場はスペイン語で「コスタ・デル・ソル」という名前がつけられていて、太陽の海岸という意味らしい。コスタ・デル・ソルは人気の海水浴場で、夏はいつも大賑わいであったが、秋になるとさすがに人はいない。

 

海水浴場から次は伊王島灯台へ行く。ここまでは平地が続いていたが、これから灯台が建てられている高台へ70mほど上って行く。海水浴場の裏手から山の方にいく道がある。あまり人が通らないようで蜘蛛の巣だらけである。蜘蛛の巣を小枝で払いながら上っていく。

 

伊王島灯台到着。伊王島灯台は、慶応2年(1866年)に米英仏欄の4カ国と江戸条約を結んだ時に、全国八ヶ所に設置された灯台の一つである。明治政府のお雇い外国人R・Hブラントンの設計により鉄造六角形の第一等不動灯として建設され、鉄造洋式灯台では日本で初めての構造物である。現在は無人灯台となり、自動装置で運用されている。

 

伊王島灯台の少し上に岬カフェがある。ここはセルフサービスのカフェである。今日は朝が早いのでまだ中には入れない。岬カフェの前には、灯台を正面に見る位置に二人乗りブランコが設けられている。カップルがこのブランコに座って伊王島灯台を見ながらコーヒーを飲む設定なのだろう。確かに楽しそうだ。今度連れ合いと一緒に来た時は連れ合いを誘ってみようと思う。いろんな仕掛けがあって面白い。

 

大明寺教会という案内表示を見て教会へ行く。伊王島キリシタン弾圧に耐えて信仰を守り通した島である。「現在の大明寺教会は昭和48年(1973年)に建て替えられ新しくなったが、初代教会堂は明治13年(1880年)に建てられたもので、日本の初期教会堂の姿を残す貴重なものとして愛知県の明治村に移築再建され、「大明寺聖パウロ教会堂」として一般公開されている」と案内板に書かれている。

 

左:俊寛僧都墓碑    右:北原白秋の歌碑

伊王島には、昔から僧俊寛が流されてきた土地であるという言い伝えが伝わっている。「治承元年(1177年)僧俊寛は平家打倒の密議が発覚し、藤原成経、平康頼と共にこの島に流された。後に藤原成経、平康頼は赦されて京都に戻ったが、僧俊寛一人は島に残されこの地で亡くなり、召使の有王丸が丘の上に葬ったとされている。墓碑は朽ちて倒壊しては建て替えられてきて、現在の墓碑は弘化2年(1845年)に再建されたものである」と案内に書かれてある。

敷地の一角に北原白秋の歌碑が建てられている。昭和10年北原白秋は僧俊寛の遺跡が伊王島にあると聞き、六月に島を訪れた。俊寛の哀史に心うたれた白秋は伊王島と題して長歌一首と反歌を詠んでいる。

反歌 いにしえの流され人もかくありて すえいきどおり海をにらめき

 

俊寛の墓碑を後にして、出発点の伊王島港に戻る。伊王島港にはミナトカフェが置かれている。カフェと言ってもスタバみたいに注文を受け付けてくれるわけではない。伊王島のカフェはセルフサービスである。カフェの料金は観光客は無料で、観光客でない方は100円である。コーヒーの豆を選び、手動式コーヒーミルで粉にして、お湯を沸かして漉し器でコーヒーをいれる。全てセルフである。要領がわからないで困っていたら、先客の方がやり方を教えてくれた。感謝である。伊王島散歩は景色を堪能するだけでなく、歴史を楽しみコーヒーを楽しむ散歩であった。