「原発から出る高レベル放射性物質(核のゴミ)最終処分場選定に向けた第一段階の文献調査について、対馬市の比田勝尚喜市長は市議会最終本会議で、調査を受け入れず、国側に応募しない考えを正式表明した。
文献調査をめぐっては、市議会は人口減少や経済衰退への危機感を背景に調査受け入れを求めていた建設団体や市商工会の請願を賛成多数で採決していた。また、文献調査の是非にとどまらず、最終処分場誘致までを視野に入れ採決した結果は賛成10人、反対8人であった。市議会は調査受け入れを促進する請願を採択していたが、市長は反対の立場を示し、最終処分場を誘致しない姿勢を明確にした」というニュースを見た。
原発を稼働させると必ず核のゴミが出ることになる。その処分場がない現状はトイレのないマンションに例えられてきた。日本では地下300メートルよりも深い岩盤に核のゴミを埋設する「地層処分」が考えられているが、これも絶対安全とは言えない。ドイツは2011年の福島第一原発事故を教訓にして原発からの撤退を決めたが、原発からの撤退を決断する一番の理由は、核のゴミ問題であったと言われている。原発をどんなに安全に操業しても、原発から出る核のゴミの処分はどうにもできない。核のゴミを安全化することは不可能である。原発を操業することは子孫に核のゴミを押し付けることと同じであると考えて、原発からの撤退を決めたと言われている。地球を破壊する恐れのある核のゴミをこれ以上増やすべきではないし、子孫に負の遺産を残すべきではないという立場での決断である。
そのような合理的な判断を基に、原発から撤退する国がある反面、日本はどうだろうか。日本は原発を止めるどころか、新しく原発を開発していくそうだ。核のゴミ問題には頬被りして、岸田政権は原発推進を高らかに謳っている。
これでいいのかと思う。私たちが現代社会で生きていくには電気なしでは生きていけない。科学が進歩した現代社会で生きていくには電気は不可欠である。その電気は今や再生可能エネルギーが主力で、原発がなくても十分やっていけるというのに原発にこだわるというのは「今だけ、金だけ、自分だけ」の自己保身主義と言わざるを得ない。原発は、原発を稼働するだけで潤沢な税金が投入されて潤う社会、団体、地域などが日本に存在する。そのようなシステムになっているようだ。それらに関係する人たちはみんなで原子力ムラを作っているが、原子力ムラの住人は、その美味しい既得権益だけは何があっても絶対手放さないように頑張っているようだ。岸田首相はじめ自民党はその手先になって原発推進を叫んでいる。
核のゴミの最終処分場選定の流れをみると、3段階の流れで進められる。第一段階は資料による文献調査である。地域が文献調査を受け入れると20億円の交付金を得ることができる。第2段階は岩盤や地質を調査する概要調査である。これを受け入れると70億円の交付金を得ることができる。そして、第三段階は最終調査の精密調査である。第三段階受け入れの交付金は今後制度化と書かれていて、額はわからない。多分第三段階まで行けば最終処分場の建設地決定となり、同時に毎年交付金が支払われることになるのだろう。いずれの段階も調査後、市町村長が反対意見を表明した場合は先に進まずとされているが、おそらく調査後に反対表明をすることは、交付金額の吊り上げ狙いと見なされ、なかなか反対を通すことは難しいのではと思われる。
対馬市議会は、文献調査の受け入れを賛成多数で採決したが、これは人口減少や経済衰退を歯止めをかけるために交付金に期待したためと言われている。税収減などで資金不足に陥っている地方にとって、まとまった交付金は魅力である。原発推進派は逆にいうとお金で地方を釣っていると言ってもいいかもしれない。
福井県敦賀市の高木孝一市長が、過去にこういう発言をしたことを忘れてはならないと改めて思う。
「原発を設置すれば電源三法交付金などが貰えるなど、そりゃあもうまったくタナボタ式の街づくりができるんじゃなかろうか、と、そういうことで私は皆さんに原発をお薦めしたい。これは、私は信念を持っとる。その代わりに100年経って片輪が生まれてくるやら、50年後に生まれた子どもが全部片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階では、原発をおやりになった方がよいのではなかろうか…。こういうふうに思っております。どうもありがとうございました。(会場、大拍手)」
お金のためなら子孫がどうなっても構わない。これは私の信念ですという政治家がいて、その息子が世襲として今も政治家を継いでいる。これが日本の政治の現状であり、この流れを止めなければと思う。対馬市は市長の英断で一旦誘致は止まっているが、次期市長選挙では受け入れ賛成派市長を擁立する動きもあるようだ。原発廃止まで戦いを続けて行かなければと思う。