ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

同期会旅行再開

大学時代のクラブの同期生9名で同期会を作り、毎年1回同期会旅行を行なっていたが、コロナのため3年間中止が続いていた。しかし、2023年10月、待ちに待った同期会旅行が再び開催され参加した。今回の参加者は7名であった。遠慮の要らない者同士の2泊3日の同期会旅行は、いつも通り愉快で楽しいものであった。同時に、今回の旅行は青春時代を思い起こす旅でもあった。

 

集合場所の東京へ向かう。長崎空港から羽田まで飛行時間100分。そして、待ち合わせ場所である新宿駅東口広場に行く。友を待つ間、周りを見学していると「みらいおん」を発見。この黄金のライオン像は何だろうと思いながら案内文を読むと、「被災者・青少年健全育成支援募金のお願い。口に硬貨や紙幣を投入していただきますと吠えて御礼申し上げます」と書かれていた。御礼に吠えられるというのは怖いなと思いながらも、どのくらいの音量で吠えるのだろうかと思い、硬貨を投入する。「ガオオオオ、、、」とライオンが吠えた後、女性の声で「有難うございました」とお礼の言葉があった。

 

今回の旅行の目的の一つは、学生時代にクラブ活動の合宿で行った宮城県の野蒜を再訪することであった。まず、東北新幹線やまびこ53号で仙台を目指す。そして、所要時間約90分で仙台到着。

 

学生時代訪問して以来の53年ぶりの仙台である。当時から杜の都と言われるように、仙台は都会であったが、53年ぶりの仙台はさらに大都会になっていた。仙台で下車して、学生時代に観光した場所をいくつか訪問する。

 

左:伊達家経ヶ峯墓所  右:伊達政宗騎馬像

まず、伊達家経ヶ峯墓所がある経ヶ峯公園へ行く。ここ経ヶ峰は伊達政宗が生前、ホトトギスの初音を聴くために登った場所で、死後は当地に墓所を造ることを遺言したことにより、伊達家の墓所となった場所である。学生時代に一度来たがあまり記憶はない。次に仙台城跡へ行く。仙台城天守閣は残されてなく、石垣などの遺構が残されている。仙台城公園には伊達政宗騎馬像がある。この騎馬像の前で53年前写真を撮ったことは覚えている。今回も同様に写真を撮る。

 

仙台から仙石線に乗り換えて今回旅行の目的地である野蒜駅へ行く。当時は電車だったか汽車だったかよく覚えていないが、長い時間をかけて野蒜へ行った記憶がある。夏休みに、半袖の白のカッターシャツに角帽をかぶり、高下駄を履き、大きなボストンバッグを抱えてここへ来たことを覚えている。

現在の野蒜駅は想像していた野蒜駅と全く違った。聞いてみると、旧野蒜駅は、2011年3月11日の東日本大震災津波に襲われて流されてしまったということであった。旧野蒜駅周辺は現在は住宅建築禁止区域となり、高台に新しい町が造成され、野蒜駅もそこに新築されたということであった。

 

昔、町があった場所には建物は一切なく、一面の広い大地だけが残されている。大津波が町を襲い全てを呑み込み流していってしまったことを思うと、3・11の暴威に恐怖するばかりである。53年前、この浜を走りまわって過ごした日々を思う。この浜のこの岩場を背景に写真を撮った日々を思う。3・11が何もかも根こそぎ持っていってしまった。残されたのはこの浜とこの岩場だけである。

 

奥松島に宿泊した次の日、松島遊覧船で島巡りを楽しむ。「松島や、ああ松島や、松島や」という有名な句がある。これは芭蕉の俳句で、松島の風景のあまりの美しさに、俳聖の松尾芭蕉も俳句を読めなかったという話を聞いたことがあるが、これは間違いのようだ。芭蕉は松島で「島々や千々にくだきて夏の海」と詠んでいる。次に山寺へ行く。芭蕉は、ここでは「閑かさや岩にしみいる蝉の声」と詠んでいる。

 

作並温泉に宿泊する。ここのホテルの売りは露天風呂である。川の近くに露天風呂があり、川のせせらぎを聞きながら自然の中で温泉を味合うことができた。紅葉シーズンは周りの木々が真赤になるようだ。夕食を済ませ、一堂に会して各自が近況報告を述べる。3年間の中断期間中に、今回参加した7名のうち3名が大病をしていた。そのうち2名は癌であった。近況報告の後、同期会の今後についてみんなで話し合った。最初、東京在住のE氏が発言した。「自分は東京にいて旅行の雑務的な要件を引き受けてきた。昔みたいに迅速にテキパキとこなせないこともあるが、健康である限り、皆さんのお役に立つのであれば今まで通り旅行の手配などの雑務を引き受けても良い」と発言があった。私は思わず拍手して感謝を表明した。その後それぞれ自分の考えを各自が述べた。病気や癌を発症した三人は、手術は成功であったこと。健康である限り同期会旅行に今後も参加したいということであった。全員が基本的には同期会旅行継続を希望しているのがわかり、次回の計画について相談した結果、次回は青森在住のT氏が幹事を務め、T氏の発案で函館を中心とした北海道旅行ということで決定した。日時などの詳細は今後T氏がさらに計画を詰めていくことになった。

 

近況報告では病気の話題が多く、今後、同期会の活動はどうなるのだろうかと内心心配していたが、健康である限り、同期会旅行を続けたいというみんなの意見を聞けて嬉しくなった。歳を取ると身体が動かなくなる。そういう時がいずれ来るのは間違いない。しかし、それまでは、いつまでも元気に一緒に遊びたいと思う。