ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

山寺へ行く

S点をスタートして矢印方向に進み、G点に戻るコース。距離2.3km、最低高度229m、最高高度388m、総上昇高度195m、天気晴れ

 同期会旅行で作並温泉に宿泊した。作並温泉宮城県だが、山形県との県境に位置する温泉郷である。その県境を超えたところに山形県山寺駅がある。その山寺駅こそ、俳聖松尾芭蕉が立ち寄り「閑かさや 岩にしみいる 蝉の声」と詠んだ場所である。機会があったらいつか行きたいと以前から思っていたので、山寺に行くことにした。

 

仲間のみんなも行くと思っていたが、山寺は奥の院まで1000段以上の階段を上って行かなければならないことから、山寺参拝希望者は徳島県在住のEさんと私、二人のみであった。Eさんと私は皆さんに見送られ、仙山線の山形行きに乗って山寺駅に到着した。山寺駅から山寺の境内となる山を対面に見ることができる。

 

山寺は、門前市で「力こんにゃく」を食べてから山寺に上るという、昔からのしきたりがあると聞いていたが、駅から山寺登山口の案内に沿っていくとすぐに「力こんにゃく」を見つけた。さっそく求めて食して見たところ、これがすこぶる美味しい。確かにこれを食べたら力が湧く感じがする。力こんにゃくを食べて、山寺の入口に到着。

 

山寺の入口は階段で始まる。山寺の正式名称は宝珠山立石寺でご本尊は薬師如来である。入口の急な階段を上っていくと根本中堂である本堂に至る。

 

広い境内をしばらく進んでいくと俳聖松尾芭蕉の像と石碑が建立されている。石碑には次のように書かれている「西暦1698年(元禄2年5月17日)俳聖芭蕉奥の細道行脚の砌、この地立石寺を訪れて山上山下を巡拝し、宿坊に一泊され、不朽の名句を残された。閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」

 

境内をさらに進んで行くと鎌倉時代に造られたという山門が建っている。ここから大仏殿のある奥の院までの石段は八百余段である。ここ立石寺では、昔から石段を「だん」「だん」と登ることにより煩悩が消滅すると信仰されている修行の山である。

 

奥の院目指して階段を登っていく。途中一箇所だけ極端に狭い階段になっている。案内には「四寸道」と書かれている。この狭い道は、人間の狭い了見を戒めて、譲り合いの必要性を説く教えなのかなと思い、案内を読むが意味は違った。立石寺の参道は昔からの修行の道である。一番狭いところは約14cmの四寸道で、開山・慈覚大師の足跡を踏んで登る修行の道という意味を示すと書かれている。

 

どんどん階段を登っていく。疲れたら階段からそれて、ベンチや小石に腰かけて小休止する。せみ塚は、山寺を訪れた芭蕉の弟子らが「この辺りで、句の着想を得たのではないか」と推測した場所である。芭蕉翁の句をしたためた短冊をこの地に埋め、石塚が建ててある。松尾芭蕉の「奥の細道」の紀行文には次のように書かれている「山形領に立石寺という山寺あり。慈覚大師の開基にして、ことに静閑の地なり。一見すべしよし、人々の勧むるによりて、尾花沢よりとって返し、その間七里ばかりなり。日いまだ暮れず。麓の坊に宿借り置きて、山上の堂に登る・・・・仏閣を拝し、佳景寂寞として心澄みゆくのみおぼゆ。」芭蕉翁は立石寺が良いという話を聞いて、28kmの道を取って返し、さらにまだ日が高いということで、山上の奥の院まで登って行ったと書かれてある。私は今日ここまで1km程度しか歩いていないのにもう疲れている。

 

どんどん階段を登っていくと仁王門に着く。この仁王門は寛永元年(1848)に再建されたけやき材の門で、立石寺では一番新しい建物である。左右に安置された仁王像は運慶の弟子たちによる作といわれており、邪心をもつ者は登ってはいけないと睨みつけている。

 

階段を1000余段登ってきて、やっとの思いで奥之院と大仏殿に到着である。大仏殿には像高5mの金色の阿弥陀如来が鎮座されている。

 

 

奥の院近くにある岩の上に立つ小さなお堂は写経を収める納経堂で、山内で一番古い建物である。納経堂の近くに一本だけ紅葉を見ることができた。

奥の院近くの五大閣から見る眺めは雄大で気持ちが良い。1000段の階段を登って来て、味合うことができるご褒美である。気持ちの良い秋風を受けながらしばし、絶景を楽しむ。

 

参道沿いには多くの仏様が佇んでおられた。山寺参拝は、松尾芭蕉翁の奥の細道に触れる旅であった。あわただしく過ごしてきた人生を、少し落ち着いて振り返ってみたいと思っていた時の山寺参拝は私にとって良い機会であった。

「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」芭蕉翁の句にあるような、蝉の声を聴きながら閑かさを感じる感性は今の私にはまだない。でも心を落ち着けていつかその心境に辿り着きたいと思う。