ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

埼玉県虐待禁止条例案について

 埼玉県議会最大会派の自民党県議団(田村琢実団長)は、小学3年生以下の子ども(小学校4年生から6年生は努力義務)を自宅に残したしたまま保護者が外出することなど放置を禁止する「虐待禁止条例の一部改正案」を埼玉県議会に提出していたが、その改正案を取り下げることを明らかにしたというニュースを見た。
 自民党県議団が提案していた「虐待禁止条例の一部改正案」は、10月6日の県福祉保健委員会で議案に対する説明や質疑が行われ、2時間意見が交わされたあと、委員長を除いて採決が行われ7対4の賛成多数(賛成:自民6、公明1、反対:民主フォーラム2、県民1、共産党1)で原案通り可決した。引き続き13日の本会議でも可決される見通しであったが、この条例に反対する県民の声を受けて急遽取り下げを決定したということであった。

 大きな波紋を起こした埼玉県の虐待禁止条例は、埼玉県議会の最大会派である自民党議員団が提出したもので、子どもの放置など悲惨な事件が相次いでいることを懸念して作られたものだという。
 条例案では、子どもを「放置」することを児童虐待と位置づけて禁止していることが特に問題になった。この「放置」について、埼玉県議会自民党議員団は、具体的には「子どもを自宅に留守番させて外出すること」や「子どもだけで公園で遊ぶこと」も放置であり虐待にあたると説明していた。そのほかにも、子どもを車の中に置き去りにすること、未成年の高校生に小学生などの兄弟を預けて買い物に出かけること、子どもだけ家に残してゴミ捨てに行く行為、子どもたちだけでの登下校、子どもにおつかいさせる行為など、子どもから目を離すと放置となり、虐待となるという内容であった。さらに驚くのは、これらの違法行為を発見したときは通報義務を県民に課していることであった。このようなトンデモ条例が成立すると、親はすべて犯罪者になってしまう条例である。

 このような内容の条例案について、当然、県民から猛反発が起こり、反対運動署名が一気に広がっていったことが取り下げの結果につながったものである。
 今回の条例は全く現代社会にマッチしない、社会不適合条例である。このようなカルト条例みたいなものが自民党議員団及び公明党の賛成多数で可決されていたことを思うと自民党議員や公明党議員は相当ずれていると思わざるを得ない。なぜこのような条例が提案されたのだろうかと思ってネットニュースを見ていたらニューヨークタイムズ日本語版に、「条例改正案に『親学(おやがく)』の影」という記事を見つけた。
「親学というのは、改憲右翼団体である『日本会議』の元政策委員の高橋史朗元明星大学教授が提唱するもので、子どもが幼いうちは、母親が家にいて愛情を注いで子育てをしないと、脳の発達に影響を及ぼすという主張を理論の根幹にしている運動である。親学とは、つまり『伝統的な子育て』により『教育の質』をあげることを目的とした右派系の運動であり、『少なくとも3歳までは母親が子育てに専念するべき』など性別役割分業や、三世代同居のような伝統的家族観を推奨している運動である。今回の改正案はその親学の方針に反する、シングルや共働きなど伝統的家族観にそぐわない家庭に対して懲罰的な規制をかけるという発想から生まれた条例ではないかというものであった。つまり、埼玉自民党県議団は『親学』的な考え方に凝り固まり、子育ては家庭が、特に母親が、全てを犠牲にして取り組むべきものだという考え方に凝り固まっているのではないか」という記事であった。

 取り下げ会見の冒頭、自民党県議団の田村琢実団長は、次のように述べた。
条例案そのものの中身は正しかったが、私の説明不足で誤解を招いた。私たちが考えていた方向性と違う方向に世論が動いてしまった。すべて私たちの説明不足であった。提案した条例の改正案自体に問題があるとは思っていない。県民の不安を払拭して、今回の議会では達成できなかったが引き続きやっていきたい」

 今回は説明不足だったのでの取り下げるが、中身は正しかったので引き続きやっていくと語っている。それに対して、ネット上で次の反対意見を見た。「取り下げの理由について自身の「言葉足らず」や「説明不足」を挙げていたが、足りないのは言葉ではなく、常識であり、社会感覚であり、基本的な能力。愚か者に権力を持たせたら大変なことになる。今回の件でそれを肝に銘じるべき。選んだのは埼玉県民」と厳しく指摘していた。

 私も同感である。選挙で議員を選ぶことは政治を付託することである。付託とは任せることである。右翼思想に凝り固まった人に権力を与えるととんでもないことになりかねないと思った。人物を考えないで、安易に政治を任せるととんでもない法律をつくられかねないということを肝に銘じておきたいと思った。