ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

日中親善のために私たちができること

 日本と中国が善隣友好の精神をうたった日中平和友好条約の発効から本年10月23日で45年を迎える。つまり、本年は日中平和友好条約締結45周年及び長崎県日中親善協議会設立50周年にあたる。それを記念して、長崎県の広報誌に「日中親善のために私たちができること」というテーマの提言募集があった。私は、「日中友好の三つの石碑を訪ねて」という題で応募した。

日中友好の三つの石碑を訪ねて

 「私が住む長崎は、古くから中国との関係が深い。1600年代の鎖国時代から、長崎は外国へ開かれた唯一の港として開港され、長崎の町の中に唐人屋敷が作られ、多くの中国人が長崎に住んだ。長崎人は中国人と一緒に生活していく中で、中国の人たちから様々なものを学び、中国の生活様式や風習も取り入れ独特の長崎文化を築いてきた。日常生活の中で困ったものがあれば中国の人が力を貸してくれた。その一つが眼鏡橋である。当時、日本には木橋しかなく、いつも洪水で流されて困っていたところ、中国のお坊さんが頑丈な石橋を造ってくれたのが眼鏡橋である。そのほかにも、豊かな食生活をもたらす中華料理、祭りの龍踊り、ペーロンレース、死者の霊魂を送る精霊船、墓の建て方などさまざまなものを教えてもらい長崎人はそれを自分のものにしてきた。中国の人から教えてもらったものは、今も長崎の風習として長崎市民の中に息づいている。長崎の町は、中国の生活様式や風習が溶け込んだ町であることを誇りに思う。
 長崎に限らず、さらに、日本国として考えると、中国と日本の関係は、長崎以上にさらに古くから深い関係で結ばれている。紀元前からの付き合いであるが、歴史的記録が残るものとしては遣隋使、遣唐使時代に遡る。多くの日本の若き天才が国作りの基礎を学ぶために中国に渡って多くのものを学んだ。服装や文字や国としての政治統治の仕組み、法律、都市造り、建築、様々な技術、さらに仏教に至るまで、あらゆる分野にわたって多くのものを中国から学んできた。そして、それらは日本国の基礎となった。日本は隣国の中国から、長い付き合いを通して、日本国の国作りの基礎を学び、そして日本国をつくってきた。いわば、中国は日本の恩師ということもできる。

 ところが、中国に教えを受けて出発した日本は、長い歴史を歩みながら、成長発展していった中で、日本は2回大陸に攻め込もうとしたことがある。一つは豊臣時代であり、一つは日中戦争である。日中戦争は、中国から多くのものを学んだその日本が、力を身に付けた勢いで、欧米列強の真似をして中国を上から目線で見るようになった。その挙げ句、中国に侵略していった。日本はそのような過去を持っている。

 最近読んだ「おどろきの中国」という宮台真司さんの本の中には、このことを近所付き合いに置き換えて、次のように書かれていた。「日本は中国から様々なものを学んだ。服装も文字も建築も社会体制も多くのものを中国から学んだ。その日本が中国に侵略していった。これを例えてみると、ーーー中国はさんざん頼まれて、昔、隣人の日本にお金を貸してやった。その金で隣人は自宅を新築した。でも、礼を言うどころか、道ですれ違っても挨拶もしない。垣根ごしにこちらの敷地にゴミを捨てて、知らん顔している。とんでもないやつだ。そのうち隣人が死んで息子の代になったら、息子は、借金のことなんか聞いていない。なんの話ですかと言い出した。これって何だいと思う。戦後生まれの日本人が、自分たちは悪いことはしていないし、侵略戦争に責任もない。だいたい中国で何があったかよく知りませんと言う態度はやっぱり許せない」と書かれていた。

 この近所付き合いの例え話からすると、私たち日本人は、明らかに恥ずべき態度をとっている。このような恥ずべき態度を取り続けると日本人は国際的に孤立してしまうだろう。恥ずべき態度の原因は日本人が歴史を知らないことである。私たちは過去の歴史から目を背けるのでは無く、しっかり歴史を直視して、そこから学んでいく必要がある。
長崎市には、日中の歴史を振り返るための貴重な石碑が遺されている。長崎市には、日中の平和を願う三つの石碑がある。一つは香焼町にある「日中不再戦」の石碑である。二つめは三和町の「日中友好 平和不戦の碑」である。三つ目は長崎平和公園にある「乙女の像」である。「乙女の像」の裏面には故胡耀邦総書記の書で「和平」と刻まれている。これらの三つの石碑は日中間の不幸な過去を踏まえ、日中両国人民が再び戦わないことを堅く誓い、戦争を知らない新しい世代にこの願いを正しく語り継ぐために建立されたものである。これらの石碑は、先人が後生の者に対して、正しく歴史を振り返るために遺してくれた記念碑である。
私は改めて長崎市の三つの石碑を訪ね、日中間の長い歴史に思いを馳せ、日中友好を願う先人の思いをしっかり受け止めて、日中友好の道を力強く歩んで行こうと思う。」

 私の提言は、残念ながら受賞できなかった。現在、日本では中国に対して良い感情を持たない日本人が多くなってきているような感じがする。私は日中平和友好条約の精神は長い両国の歴史を踏まえて理解すべきだと思う。時の政権の都合に振り回されるのではなく、両国間の長い歴史を辿れば平和友好の道しかないと確信する。日中平和友好条約を実りあるものにするために、日中間の長い交友の歴史を日本人は今こそ掘り下げるべきであると思う。