ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

内田樹さんのインタビュー記事を読む

 週刊誌で内田樹さんのインタビュー記事を読んだ。その記事を読みながら確かに内田さんが言われる通りだと思った。以下に、内田さんの記事を引用する。

ーーなぜ日本は「生きている気」がしない国になったのでしょうか?日本がますます貧乏になり、生産力が低下し、国力が衰退しているのはなぜでしょうか。

内田 日本の国力が衰微している最大の理由は、多くの人が短期的な自己利益の増大に走って、長期的なタイムスパンの中で、自分と共同体の利益を安定的に確保するためにはどうしたらいいのかを考える習慣を失ったからです。目先の自己利益ばかり考える利己的な人間ばかりになったら、市民社会国民国家も持ちません。

 近代市民社会は、短期的には私権の制約や私財の供託を受け入れて、公権力による統治を受け入れた方が長期的には自己利益が多いと人々が判断してできた社会です。しかし、現在の日本では、「長期的な自己利益を考える」という知的習慣がなくなってしまいました。今ここでの目先の利益が得られるなら、「あとは野となれ山となれ」という人たちが権力者になり、統治機構をコントロールして、政策を立案して、ビジネスをやっている。

 今の日本はもう近代市民社会の体をなしていません。私権私財を削って、公共に供託するどころか、逆に、公権力を用いて私利私欲を満たし、公共財を奪って私財に付け替えるような人たちばかりが日本の支配階級を形成している。「そういうことができる」ということが権力者なのだ、そのどこが悪い。文句があるなら、まず自分が権力者になってみろ…というタイプの利己的な権力観を平然と語る人たちが「現実主義者」を名乗っている。


――モリカケ問題から五輪利権まで、為政者など公の中心を担う人々が小賢しいスキームを考え出しては自己利益を追求していることについてどう思いますか。

内田 これは深刻な亡国の兆しだと思います。豊かで安全な社会で暮らしたいと思うなら、公共財を削り取って私腹を肥やすより、わずかであっても公共のため、他者のために、みんなが「貧者の一灯」を持ち寄って、厚みのある公共を構築することが一番効率的なんです。でも、今の日本人は公共というのは、「みんなが持ち寄ったもの」とは思っていません。海や山のように昔からそこにある「自然物」のようなものだと思っている。だから、公共財をいくら削り取っても、いくら濫用しても、「分配にあずかれる人間」と「分配にあずかれない人間」の格差は生まれるけれども、公共財そのものはいくらでも「食い物」にできると思っている。だから、自分の支持者や友人は公権力を使って便宜を図り、公共財を使って優遇することを少しも悪いことだと思っていない。今、多くの日本人が公人は公平で廉潔であるべきだと思っていません。そんなのは「きれいごと」だと鼻先で笑っている。でも、公人が倫理的なインテグリティ(廉直、誠実、高潔)を失ってしまったら、国はもう長くは持ちません。

 現に、日本の権力者は国内ではまだ偉そうにできるでしょうけれど、日本の権力者はもう国際社会から「真率な敬意」を寄せられない国になってしまった。今の日本政府や日本の政治家が「世界と人類のあるべき姿」を示して、国際社会に指南力を発揮すると期待している人は国際社会にはいません。でも、「他者からの敬意」なしでは人間は生きてゆけない。国だって同じです。「他者からの真率な敬意」という糧を失うと、「生きている気」がしだいに失せてくる。今の日本があらゆる指標で国力が衰微しているのは、そのせいなんです。金がないからでも、軍事力が足りないからでもない。日本は他国の人たちから敬意を抱かれていないからです。

ーー他国から敬意を得るためにはどうすべきでしょうか

内田 最優先は、国民全体が豊かで幸福に暮らせるようにすることです。だから、国力を回復するというのも、それほど難しい話じゃないんです。別に大金を儲けたり、軍事力を増強したりする必要なんかない。国際社会から見て「日本はいい国だな。みんな幸せそうに暮らしているな」と思われる国になれば、それでいい。それが敬意を醸成する。だから、とにかく国民全員が豊かで幸福に暮らせるように、制度を整備して、厚みのある、手ざわりの温かい公共を再構築することです。

 最優先に整備すべきは、行政と医療と教育です。その領域には十分な公的支援を行う。そうすれば、市民たちは安心して暮らし、教育を受け、良質な医療を受けられる。でも、実際には、「民営化」や「稼げる大学」や「稼げる医療」などというビジネスのロジックを持ち込んで、公共セクターがどんどん痩せ細っている。

――行政のアウトソーシング化(コストと人員削減を目的として各種業務を外部委託すること)ですね。

内田 公務員を減らして、その分の仕事を派遣会社に丸投げしていますが、たしかにそうやって非正規職員を増やせば人件費コストは削減できるでしょう。でも、人材派遣会社から送られる非正規職員に、公務員としての責任感や忠誠心を求めることは無理です。安い賃金で、行政をどんどん民営化して、ドライな雇用関係に置き換えてゆけば、たしかに人件費を削除できるでしょうけれど、彼らに熱意のある仕事を期待することはできない。絞るだけ絞っておいて、厚みのある、手ざわりのやさしい公共セクターを管理運営できるはずがない

――それは新自由主義の弊害も大きいのでしょうか。

内田 新自由主義の「選択と集中」というのは、パイが縮んでいるんだから、生産性のないメンバーにはパイをやるな、生産性の高いメンバーにだけパイを食う権利があるという露骨な弱肉強食イデオロギーのことです。それで25年やってきた。そしたら、日本はますます貧乏になり、日本の生産力はますます低下し、人々はますます暗い顔になってきた。もういい加減に「こんなやり方」をしてたら先がないということに気づいてよい頃です。

これを読んで、全くその通りだと思った。30年間成長しない日本はもはや、先進国とは言えない状況になった。この間、おもに政治を担ってきたのは自民党である。公共財を奪って私財に付け替えるような人たちばかりが日本の支配階級を形成している。そういうことができるということが権力者なのだ、そのどこが悪い。文句があるなら、まず自分が権力者になってみろ…というタイプの利己的な権力観を平然と語る人たちについて内田さんは書いていたが、支配階級にはもちろん政治家が含まれる。今、多くの日本人が公人は公平で廉潔であるべきだと思っていません。そんなのは「きれいごと」だと鼻先で笑っている。でも、公人が倫理的なインテグリティ(廉直、誠実、高潔)を失ってしまったら、国はもう長くは持ちませんとも内田さんは言っていたが、ここでいう公人とはもちろん政治家も含まれる。
 私たち一般国民が政治に目覚めないと、日本はますます衰退し、間違いなく日本は滅亡するだろうと思った。日本の再生は、まともな政治家を担ぎ出すことから始まると改めて思った。