ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「アルゼンチン1985」を見た

この映画の正式タイトルは「アルゼンチン1985、歴史を変えた裁判」である。この映画はアルゼンチンで実際に起きたことをもとに作られた映画である。映画の内容は、タイトルが示すように裁判を扱った映画である。アルゼンチンの政治状況と日本の政治状況はまったく違うが、映画の中でそこに生きている人々の苦しみ、悩み、喜び、勇気などどこの国でも同じだと思えるようなことがたくさん描かれていた。アルゼンチンのこの映画から学ぶべきことがたくさんあると感じた映画であった。

 舞台は、1985年のアルゼンチンである。アルゼンチンは第二次世界大戦以前は親連合国派の積極参戦派と親枢軸国派の絶対中立派が対立していたように、常に国内政治は二極対立していた。戦後も政治的に安定せず、軍事クーデターが何度も起きていた。1976年の軍事クーデターによって樹立されたアルゼンチンの軍事独裁政権は「国家再編成プロセス」と称する軍民協調の独裁体制を敷く一方、「汚い戦争」を対ゲリラ戦略として採用し、ゲリラ掃討作戦を遂行した。そのゲリラ掃討作戦に乗じて、反体制派市民に対する違法な逮捕、拷問、殺害、強制拉致等の様々な弾圧を行なった。特に悪名高いのが「死のフライト」と呼ばれる反体制派市民を生きたまま空中の飛行機から未開の奥地や海に突き落とすというものであった。これらの非合法的な手段弾圧による犠牲者は9,000人から30,000人にも上るといわれ、正確な犠牲者数は今もわからないままである。

 映画は、軍事独裁政権が倒壊した後、新政権が「汚い戦争」に乗じて行われた市民に対する弾圧を殺人罪で訴追することを決めたところから始まる。主人公であるストラセラ検事は、国家再建計画の一環として、当時の軍幹部を裁く裁判の検察官を依頼されるが、やる気は全くなかった。何度も依頼の要請があったがそれを断り続けてきた。断る理由は、軍事政権が終わり1年足らずのアルゼンチンでは、まだ国の重要ポストに軍事政権側の人間がたくさんいること。裁判官の中にも軍事政権寄りの裁判官が多く存在し、裁判に勝てるかどうかわからないこと、軍事政権は倒壊したとはいえ、いつまた軍事クーデターが起こり軍事政権が復活するかわからないこと、この裁判を引き受ければ自分自身だけでなく、家族も嫌がらせや脅迫に怯える日々を暮らすことになることなどから検察官を依頼されても断り続けてきた。ある日、自宅に帰ると電話が鳴り受話器を取ると「俺たちは、お前の息子や娘をいつでも拉致できることを忘れるな」という脅迫電話であった。奥さんに脅迫電話のことを話すと「一日中脅迫電話は何回もかかってくるわ。あの人たちは暇なんでしょうね。あんな脅迫に絶対負けないでね」と励まされたり、古い友達の支援を受けて、最初はしかたなく検察官を引き受けた。検察官を引き受けて莫大な裁判資料の作成に取り組むために検察官チームを編成する必要に迫られ、検察官仲間にチームに入るよう依頼するが依頼した全ての検察官に断られてしまった。それは軍事政権復活への恐怖であったり、脅迫などの災いに巻き込まれたくないという保身であった。

 やむなくストラセラ検事は軍事政権に関わりのない世代の法学部新卒や素人ばかりの若い寄せ集めチームを結成し戦いに挑んでいった。期限は約6ヶ月、素人集団を率いての検察側証拠収集活動が始まった。しかし、証人や証言集めに奔走するが、拉致されたまま帰ってこなかったり、生還しても自らに起きたあまりに非道な経験を語れない人も多く、調査は難航する。それでもアルゼンチン全土に及ぶ300箇所の秘密監禁施設の近辺住民への聴き取り調査など地道な調査活動を続けていった。半年後700名余りの犠牲者についての証拠書類の作成を完了して、それを基に起訴に持ち込んだ。

 裁判が始まった。裁判は軍事政権時代に軍部と警察が協力して行った市民弾圧事件である。今は軍事政権ではないが、軍隊組織と警察組織は歴然として存在する。軍隊組織と警察組織は国民の動きを監視しているのは変わりない。そのような中での裁判について、国民の反応は様子見的な反応であった。また、女性の多くはレイプなど様々な暴行をうけたことにより証言に立つことが困難であった。また、男性証言者の中には、脅迫を受けて証言を断る人も現れたりした。裁判の流れは証言者の拒否などで検察側に有利な状況ではなかった。そういう中、一人の女性が証言台に立った。その女性は臨月の時に拷問されて赤ちゃんが死んだことを証言した。拉致され、看守の前で出産させられ、手足を縛られていたため赤ちゃんを抱かせてもらえず死亡したことを証言した。その証言から裁判に対する国民の見方が変わった。弁護側は全ての行動は軍事的行為であり殺人などにはあたらないと主張していが、これは軍事行動ではない。明らかに殺人だという流れになっていった。

裁判では様々な証言がなされて最後にストラセラ検事が論告求刑を行った。ストラセラ検事は次のように述べた。「これは民主主義を守るための最後の戦いです。このような事は二度とあってはいけない。ここで実際に彼らを罪に問わなければ、また彼らは同じことをするでしょう。これは二度と繰り返さないための最後のチャンスです。二度と起こさないために、彼らを絶対に裁かなければなりません」

ストラセラ検事の論告を聞いて、日本でも全く同じであると思った。原発であれだけの事故を起こしながら誰も裁かれない。誰も罪に問われない。その結果、また同じことを平気でやろうとしている。裁判官まで支配された日本に未来はあるのだろうかと心配になった。