ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

横田早紀江さんの手記を見る

 長崎新聞横田早紀江さんの手記が掲載されているのを見た。手記のタイトルは「苦難と希望ー私を支えた言葉」と書かれ、その横に12(完)と記されていた。このことから、この横田早紀江さんの手記は今回が12回目で最終回ということを知った。
 12回目の今回は「死を覚悟 娘との再会を祈る」という見出しがつけられていた。読み始めると最近起きた異変が書かれていた。
 手記の一部を記す。「朝食を終えると突然、目の前が真っ白になった。居室にある夫や娘めぐみ、孫のウンギョンの写真がかすんでいった。今年2月28日、意識が遠のく中、「これは危ない。これで終わりかもしれない。死ぬとはこういうことなのか」生まれて初めて「最後」を覚悟した。どれくらい時間がたっただろう。祈りながら訴えた。「神様、あと2年、生かしてめぐみと会わせてほしい」なぜ2年と言ったのか、今でもわからない。ただ必死だった。しばらくすると、視界がパーと開けた。動悸も収まっていた。一人でタクシーに乗り病院に向かった。
 87歳で生まれて初めて入院と手術を経験した。1977年11月15日、13歳で突然消えた、めぐみの姿を病室でも思い浮かべた。失踪前日は夫の45歳の誕生日で、娘と4歳下の双子の弟も交えて祝った。だが、翌日、下校中のめぐみは自宅に戻らなかった。人さらいにあったのか、家出したのか手掛かりは何もなかった。「自分の育て方が悪かったのか」自責の念に駆られ、命を断とうと何度も考えた。失意のどん底のとき、友人から聖書を手渡された。初めて手にし励ましと勇気、心の平安を与えてもらった。
 北朝鮮に拉致された疑いが発覚したのは20年後の1997年1月であった。2002年の日朝首脳会談では「死亡」通告を受けた。その後の偽遺骨の提供・・・・苦難の連続であったが、「主のムチ」と受け止め、「耐え忍べ」と覚悟し、神に支えられているとかみしめた。
 北朝鮮は遠い隣国だ。いつか人々が自由に行き来できる融和の日を待ち望む。めぐみにも主を通じて毎日伝えている。「苦難の中でも希望を失わないで」

 手記を読みながら、拉致被害者の方の早期帰国を何とかして実現しなければと思う。横田早紀江さんのご主人、滋さんは2020年にお亡くなりになった。滋さんはめぐみさんと会うこと叶わず旅立たれた。時間はもはや残されていない。めぐみさんはじめ拉致被害者の方が早く帰国されることを祈るばかりである。

 11月22日の新聞には北朝鮮がミサイル発射という記事が大きく掲載されているが、拉致被害者の解決につながるニュースは何もない。拉致被害者救出については国の支援がなければ到底成し遂げられない。国の代表者である国会議員の中には、拉致被害者全員を返せという意思表示であるブルーバッジをつけている方も多いが、単につけているだけで、やっている感を醸しだし、実際は何もやっていないのではと思う。

 北朝鮮がミサイル実験を繰り返すのは、朝鮮戦争が継続中だからである。朝鮮戦争は休戦中であり終結していない。だから、韓国は今も兵役の義務が続けられている。北朝鮮が一番望んでいるのは朝鮮戦争終結と言われている。そもそも、北朝鮮と戦争状態を継続したままで外交などできるわけがない。小泉首相北朝鮮を電撃訪問して、北朝鮮金正日総書記と会談して国交正常化が進展すると期待されたが、朝鮮戦争終結への話には繋がらなかった。そればかりか、トランプ大統領北朝鮮との国交正常化を進めているときに、日本はトランプ大統領朝鮮戦争終結の宣言だけはしないようにという要望を出している。また2021年、当時の文在寅(ムン・ジェイン)韓国大統領が国連で「朝鮮戦争終結宣言をすれば、朝鮮半島の非核化も進み、完全な平和が始まる」ということで「朝鮮戦争終結宣言」を提案したが、当時の安倍首相率いる日本政府はそれに反対した。日本は平和主義国家であるにもかかわらず、戦争終結に反対して、戦争継続を支持したということは今も納得できない。

 これでは拉致被害者の早期帰国実現など外交交渉に上げることもできないだろう。日本政府の拉致問題に対する本気度を疑う。自民党政権では拉致問題を人気取りに利用することはあっても、本気で解決する気があるのか疑問に思う。