ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「9条の挑戦」を読む

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この本は「非軍事中立戦略のリアリズム」というテーマで伊藤真・神原元・布施裕仁の三氏によって書かれたものである。
この本の冒頭、著者の一人である布施裕仁氏は『安倍元首相が進める自民党改憲は、現在、憲法九条を改正して自衛隊の存在を憲法に書き込み、空母の導入や恒久的な海外基地の補充などその軍事力を飛躍的に増強しようとしています。この本は安倍元政権が進めようとしている九条改憲への私たち3人が考えた対案です。私たちは、憲法に軍事力による安全保障を明記する「9条改憲」に対して、軍事力に頼らず、どこの国とも軍事同盟を結ばない「非軍事中立」の安全保障戦略を提示します。

こんなことを言うと、改憲派だけでなく、護憲派からも「何を馬鹿なことを言っているのだ」と批判されるかもしれません。もちろん、私たちも、今すぐに非軍事中立の安全保障が実現できるとは考えていません。多くの野党や護憲派市民運動が主張しているように、まずは現政権による9条改憲を阻止し、その次に集団的自衛権行使を容認した2015年の安保法制を廃止するという目標設定にも異論はありません。他方、こうした「政治論」「運動論」とはいったん離れて、何が日本の安全保障戦略として最も現実的かと考えてみれば、非軍事中立戦略は大いに検討に値するものです。日本を取り巻く安全保障環境は刻々と変化しており、安倍政権はそれを口実にして9条改憲や軍備増強を進めようとしてきたわけですが、それに対して私たちは、「非軍事中立戦略こそが安全保障環境の変化に対応した最も現実的な道である」と主張したいと思います


私自身もかつては、非軍事中立など現実離れした理想主義だと思っていました。生まれた時から、自衛隊日米安保条約も当たり前のように存在し、なんとなくこれらが日本を守ってくれていると思っていました。しかし、安全保障について勉強すればするほど、軍事力も決して万能ではないことが見えてきました。そして自衛隊と米軍の軍事力で日本を防衛するという体制を永久不変のものとして続けていくよりも、軍事力に頼らない非軍事中立の安全保障を目指す方が、日本にとって合理的な選択だと考えるようになりました。「非軍事中立」を目指そうと主張することは、現在の自衛隊日米安保条約を直ちに否定することを意味しません。大事なのは、自衛隊日米安保に安全保証をゆだねている現実を、非軍事中立という目標に一歩一歩を近づけていくための方法と道筋を具体的に考えることです。非軍事中立の日本が実現するしても、それには相当程度の時間を要するでしょうから、この構想を豊かに練り上げる時間はたっぷりとあります。この本が一つのたたき台となって活発な議論が行われることを期待します。』と述べていた。

この本はなぜ「非軍事中立」が合理的選択であるかを第1章「憲法9条の防衛戦略」、第2章「憲法学は何を主張してきたか」、第3章「日米同盟と専守防衛のひずみ」、第4章「等身大の安全保障論」に分けて丁寧に説明しており、納得するものが多くあった。

納得するものの一つに、第3章「日米同盟と専守防衛のひずみ」の中で語られていた「見捨てられる恐怖」か「巻き込まれる恐怖」かという論点である。
『「同盟のジレンマ」という言葉があります。これは、有事の際に同盟国から必要な支援を得られないのではという「見捨てられの恐怖」から、そのリスクを減らすために同盟により深く関与すると、今度は同盟国の戦争に否応なく巻き込まれるかもしれないという「巻き込まれの恐怖」が増大するというジレンマのことです。日本はまさに今、これに落ちいっているように見えます。安倍元首相は2004年に出した対談本「この国を守る決意」の中で、次のように述べて集団的自衛権の行使を容認する必要性を説きました。「軍事同盟は“血の同盟”です。日本がもし外敵から攻撃を受ければ、アメリカの若者が血を流します。しかし、今の憲法解釈のもとでは、日本の自衛隊は、少なくともアメリカが攻撃されたときに血を流すことはないわけです。」
米軍に日本の防衛の関与を強めてもらうためには、自衛隊アメリカのために血を流さなければならないと言っているのです。そして、この10年後(2014年)、安倍元首相は実際に日米同盟を「血の同盟」にすべく、憲法解釈を変更して集団的自衛権行使を容認しました。』
アメリカに守ってもらうためにはアメリカの軍事行動に協力しなければならないというロジックにより憲法解釈を変更してアメリカ軍と一体となって行動することが宣言された。そして、さらに自衛隊憲法に明記することによって軍事行動の場をさらに拡大しようと画策しています。これは、「アメリカに見捨てられるという恐怖」からアメリカ軍の二軍として行動することをよしとしている訳ですが、私は、逆に「アメリカの戦争に巻き込まれる恐怖」を強く懸念します。

70数年前、二度と戦争をしない国つくりを誓って再出発した国が、時代、環境が変わったから憲法も変えるべきという主張で改憲が主張されるようになった。時代、環境によって物事は変わるが、不易と流行という言葉がある。物事には時代と共に変えるべき流行と、時代が変わっても変えるべきでない不易がある。日本にとって平和主義はまさにどんなに時代、環境が変わっても不易とすべきものである。平和国家がいつのまにか軍事大国に変わるという愚だけは見逃せない。「9条の挑戦」は国防、安全保障という問題について多いに参考になった。