ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「俳句を始めよう」講座を受講

 公民館講座の「俳句を始めよう」講座の第一回目を受講した。この講座は俳句初心者を対象にした講座で俳句の基礎を学ぶコースである。この初心者講座は2時間コースが4回に分けて行われる。終了後は、現在公民館で活動中の俳句会に参加して俳句活動を続けることを推奨しますということであった。
担当の講師の方は男性のN先生で、なかなか話し上手な方である。今回の受講者は女性6名、男性4名の合計10名であった。

 今日は第一回目ということで、まず、日本の詩歌の歴史をたどりながら、短歌、連歌、俳句に至る流れを教えていただいた。江戸時代には松尾芭蕉などが活躍していたが、それを明治時代に正岡子規が「俳句」という呼び名でさらに新しい文芸として発展させ、現在に至っているという話であった。

 俳句は、身近にあるものをよく見て、それを言葉で写生すること。俳句は基本的に文語体で、定形であること。そうすることで、かっこよくなるし、気持ち良くなるし、おしゃれになる。
俳句は五・七・五という定形である。ただし、上五は、六でも七でも少し字余りでも、字足らずでも許されることもあるが、中七と下五は定形厳守ということであった。
 また、俳句には季語を入れるが、季語は一つに限ります。しかし、次の有名な句を見てください。「目には青葉、山ほととぎす、初鰹」この句の「青葉」も、「ほととぎす」も、「初鰹」もすべて同じ夏の季語であり、季語は一つというルール違反の「季重なり」です。この句は初夏のみずみずしさを、イレギュラーな技で視覚、聴覚、味覚に訴えて、斬新な作品に仕上がっていますが、例外です。季語は一つが原則ですと強調されていた。俳句がどういうものかを面白く物語風に語っていただいところで1時間目を終了。

 二時限目からは実習である。「これまでの話で、大体、俳句を理解いただけたと思います。今から、皆さんに小短冊を配ります。その小短冊の用紙に、皆さんに自由に俳句を書いていただきたいと思いますが、今日が初めてなので、私から課題を出します。まず、俳句の上五だけをその用紙の上部に書いてください」と先生が課題を出した。

先生から何でも結構ですから上五を書いてくださいと言われて、それぞれ自由に思いつくまま、上五を自分の用紙に書く。私は「夏空に」と書いた。みなさん書き終わりましたら回収しますと言って、その上五を書いた用紙10枚を先生が回収する。そして、その回収した10枚の用紙を、先生がランダムに、本人以外に配り直す。新たに受け取った用紙には上五が書かれています。その上五に合った中七を書いてください。私が受け取った用紙には「青い空」と書かれていた。私は「青い空 広く大きく」と書いた。しばらくして、また先生が回収した。そして、回収された用紙は、またランダムに配り直された。配られた上五と中七が書かれた句に下五をつけてください。季語がなければ季語を考えて書いてくださいと言って用紙が配られた。私は「蛍火の ような人生」という句を受け取って、「蛍火の ような人生 母想う」と下五を結んだ。そして、できあがった俳句は隣の席の方と交換するように指示された。
 10人の受講者が上五、中七、下五を別々にランダムに関わって作成された10の俳句が誕生した。そして、自分のところには、自分が関与していない俳句が残された。最後に、手元にある俳句を観賞して、その状況説明とその感想を褒め言葉で発表するという課題が与えられ全員が行なった。そして講師より添削を受けた。
 葉桜の 下通り行く ワンピース
 風光る 港の語る 文化かな
 起き抜けの 髪くしづける 立夏かな
 燕の子 まぶたに里の 浮かびけり
 紫陽花の 色とりどりに 笑いおり
 山登り 路傍に一つ 蕗のとう
 夏空に 口パクパクと 冷菓食む(重ね季語)
 五月闇 歩きながらの 思いあり
 蛍火の ような人生 母想う
 青い空 広く大きく サングラス
 

 俳句は難しいと思っているところに、ゲームみたいにして他人のアイディアに想像力を働かせて言葉をつないでいったら、俳句が出来上がった。さらに鑑賞する立場で俳句を見ると自分の視点にないものを見つけることができた。この2時間は俳句を作る楽しさを味合う時間となった。さらに、この時間は脳に刺激を与えて、間違いなく認知症予防になっているという実感がした。この意味でも「Let’s 俳句ing」講座は続けたいと思った。身近のものを言葉で写生することが俳句であると言われて、なるほどと思った。そのなるほどは、今はまだ思うだけで実行力が伴わない。早く実際の作品を作り出せるようになりたいと思う。