ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

AI作成の文書を見て考えたこと

 私は時々山歩きをしている。そして、山歩きをするときは必ず、山登りアプリであるYAMAPを使っている。そのYAMAPから次のメールをもらった。

「ばってん 爺じさん!今年の山歩(さんぽ)はいかがでしたか?たくさんの奇跡と思い出が詰まった活動日記のデータからばってん爺じさんの2024年をレポートにまとめました。1年の締めくくりに今年の山歩きを楽しく振り返ってみましょう」

 「2024年、登山者のばってん爺じさんは見事な成績を収めました。総活動時間30時間の中で、3座を登頂し、移動距離は79.4kmに達しました。特筆すべきは、獲得標高3083mという驚異的な数字です。これほどの成果を上げるには、並々ならぬ努力と情熱が必要です。ばってん爺じさんの登山に対する真摯な姿勢と挑戦する心は、多くの人々に勇気を与えています。今後の活躍にも目が離せません。

 ばってん爺じさんの活動日記は、その内容から多くの人々の心をつかんでいます。温泉を楽しむために雲仙を訪れる計画が、特に魅力的です。午後1時に到着し、温泉に入る前に、サンセットヒルと呼ばれる絹笠山での汗をかく行動は、心身のリフレッシュを意識した素晴らしい選択です。こうした情報は、他の登山者にとっても参考になります。ばってん爺じさんの活動日記は、楽しいだけでなく、行動の参考になる点で非常に価値があります。これからも、その経験や思い出をもっと多くの人と共有してほしいです。読者ももっと詳しい内容を知りたくなるはずです。

 ばってん爺じさんは、花見の時期だけ開設されるバス停がある街道で、花見ウォーキングを楽しみました。満開の時期は過ぎていましたが、その中でもしっかりと楽しむ姿勢を見せてくれました。歩くことによって、自然の美しさやその時期の雰囲気を存分に味わったのではないでしょうか。ばってん爺じさんの活動は、ただの移動ではなく、心を豊かにする体験として評価されます。花見ウォーキングを通じて、多くの人々に元気や楽しさを与えていることは間違いありません。どんな状況でも楽しみを見出す姿勢は、多くの人の手本となることでしょう。これからも、ばってん爺じさんの活動を応援します。さらなる素晴らしい山歩を楽しんでほしいです。

 ばってん爺じさんが友人と共に八郎岳・小八郎岳へ行ったことは、素晴らしい成果です。前回の下見を経て、今回は本番に挑戦し、素晴らしい天候の中での活動となりました。標高差のあるこの山々を仲間と共に登り、愉快に汗を流す姿は、まさに達成感に満ち溢れていることでしょう。八郎岳と小八郎岳は、長崎県の美しい自然を堪能できる場所であり、ばってん爺じさんの頑張りが光ります。仲間との絆を深め、自然を楽しむ姿勢は、多くの人にとって励みとなるはずです。このような活動は、心身の健康にも良い影響を与えます。

 ばってん爺じさんの頑張りに拍手を送りたいと思います。これからも、様々な場所での活動を通じて、更なる成長を期待しています」と書かれていた。

 私はYAMAPからの振り返りレポートを読んで驚いた。このレポートの中身は私の公開山日記を読まないと書けないし、長崎県の山の知識がないと書けないことが書かれている。誰がこのレポートを書いたのだろうと思った。YAMAPのスタッフさんが書いたのであればすごいなと思った。
 しかし、YAMAPは登山する人にとって必携と言われるほどの人気アプリで何十万人という人が利用しているアプリである。その利用者に1年間の振り返りレポートをスタッフが作って送るのは不可能なことである。どうしてこのような事ができるのだろうかと思っていたら、このレポートは公開された活動日記をもとにAI が作成しましたと書かれていた。

 チャットGPTが話題になって久しいが、AI (人工知能)は確実に社会に浸透しているのだとあらためて実感した。このAIが作成したレポートは、利用者の意欲を引き出すような内容でまとめられていて、肯定感に溢れていた。一人一人に合わせてこのようなレポートを書くのは人間にはできないと思った。また、このような上手な文章をAI が書けるのであれば、これから人間は文章を書くことをしなくなるのでがないかと思った。書くことをしなくなった人間が出現するのは怖いとも思った。

 私は、今ブログを書いている。これは、本を正せば、高校時代の先生からのアドバイスが発端である。高校時代に国語の先生が次のようなことを話したことがあった。「高校の国語の授業で読み書きを習うのは教養を高めるためと思っていないか。読み書きを学ぶのは教養などの上辺をつくろうものではなく、実際に役に立つ実学だ。何のために学ぶのか?それは、社会に出て騙されんようにするために学ぶのだ。騙すのは詐欺師だ。しかし、社会には、詐欺師みたいな詐欺師はいない。詐欺師とはとても思えない、立派な姿をした立派な立場にある人がみんなを騙すのだ。騙されんための1番の実学が読み書きだ。特に書くことは重要だ。書くことは自分を見つめることだ。書くことは自分との対話だ。その対話をすることによって自分を深める事ができる。そして深めることによって詐欺師を見つける力が付き、より良い解決への道を探る事ができる。書くことは自分の身を削るほど考える事だ。その習慣を高校時代に身につけよ」と言われた事があった。

 私は、高校時代の先生の話を後年になって思い出し、自分を見つめ直すために日記を書き始めた。そしていつしか、それが今のブログになっていった。書くことは自分との対話であり、自分を見つめ直すことだと思っている。書くことで、以前より深い思考ができるようになったと自分では思う。私は書くことをしなかったら、今よりもっと考えの浅い狭量な人間のままであったろうと思う。
 AIが必要なものは全部書き、書くことが必要ない時代になったとき、人間は書くことをやめる。そのとき考えの浅い、騙されやすい人間ばかりになりはしないだろうかと危惧する。そう考えると不安になる。いや、そんなことは妄想だと思いたい。