良い天気が続いている。久しぶりに水辺の森公園を散歩しようと思い出かけることにした。水辺の森公園は、長崎市民がベイエリアを楽しむことができるように2004年に作られた公園である。
水辺の森公園の隣には、松が枝国際埠頭がある。コロナ騒動が終焉して以来、長崎港にはほぼ毎日大型国際観光船が入港している。今日も、松が枝国際埠頭には大型観光船が停泊していた。
船名は"Adora Mediterranea "と書かれている。この船は85,000トンの大型船で2000名以上の中国人観光客を乗せて天津から長崎に来たようだ。
水辺の森公園では、散歩を楽しんでいる外国の観光客の方も多く見られた。芝生の木陰に座って海を眺める。何もせず、黙って海と空を眺める。鰯雲を見て、先日の長崎新聞に載った「今日の一句」を思い出す。「自由とはとふいに問わるる鰯雲」この俳句は、すごい衝撃の句だと思った。鰯雲を見て自由と結びつける発想は私にはない。私もこのような斬新な句を作りたいと思った。思うのは簡単だが、目標は遠いと感じる。公園を散歩する方の言葉も中国語、韓国語、英語など様々である。平和な日々が嬉しい。
水辺の森公園の中には運河が作られている。その運河では船遊びもできるようだ。今日は日差しが強いので、公園を歩いていくと汗ばむ。運河を眺めながら爽やかな風を楽しむ。
水辺の森公園を一周するといい運動になるが、今日は公園の一部を散歩して、東山手へ上って行く。東山手は江戸時代末期、開国に伴い造成された外国人居留地の一つである。この地区には教会とか領事館とかミッションスクールなどが建てられ、官庁街と文京区が混然一体となった街が東山手の丘に造られた。ここには、今でも長崎の歴史を語り継ぐ史跡が残されている。東山手の入口は外国人が多く往来していたことから名付けられたオランダ坂から始まる。
東山手十二番館は、明治元年(1868年)に建設され東山手居留地に残る洋館では最古の建物で、国指定重要文化財である。これまで、ロシア領事館やアメリカ領事館などに利用されてきた建物である。活水学院は明治12年、ここ東山手に設立された日本の女学校の草分けとなる学校である。
石畳の道を上っていく。居留地の道路は石畳で舗装されている。また、居留地の周りにはいたる所に煉瓦塀が見られる。積み方もイギリス積みとフランス積みの二つの積み方が残されているようだ。ここの一角はイギリス積みのようだ。
東山手から次は南山手へ行く。南山手地区は外国人居留地の居住地域として開発され、多くの住宅が建設された場所である。南山手は海岸に面した丘陵地帯に作られているので、これから80mほど上って行く。高度80mまで歩いて上っていくのは大変だが、ここにはグラバースカイロードという斜行エレベーターが設けられているのでそれに乗って上っていくことができる。グラバースカイロードは日本で初めて道路として造られた斜めに動くエレベーターである。
斜行エレベーターで最上階まで上ってくると、グラバー園の第二ゲート入口である。そこからグラバー園に入場する。グラバー園からは前に海が見える。
グラバー邸は1863年に建てられた現存する日本最古の木造洋風建築である。日本瓦や漆喰の土壁が使用され、石畳のベランダにかかるアーチ型の欄間が特徴で、国指定重要文化財である。グラバー園には国指定重要文化財の洋館を始め9つの洋風住宅などが園内に設置され、長崎の歴史浪漫散策を楽しめる公園で、多くの観光客が訪れる場所である。今日も園内は多くの内外の観光客で賑わっていた。
グラバー園を散策した後は、出発点の松が枝国際埠頭に戻ってきた。ここまで来たら、ターミナルの中からブラスバンドの演奏が聞こえる。これは観光船の出航のお見送りの演奏をしているのだと思ってターミナルへ向かう。埠頭では地元高校のブラスバンド部の演奏とバトントワーリング部の演技が行われていた。演奏・演技が行われるたびに船内の観客から大きな拍手が起こっていた。外国の観光客の方からたくさんの拍手を受けるのを見ながら、このような形で地元の高校生が国際友好に貢献しているのは大変有意義なことだと思った。
今日の散歩コースは、長崎の歴史を感じることができる私の好きなコースの一つである。さらに運良く高校生のお見送り演奏も見ることができてラッキーであった。町中を歩くと予期せぬ出来事に出会うのでおもしろい。また、町中散歩に挑戦したい。