ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

松村謙三さんを思う

 

昨日、「長崎喧嘩騒動」のことを書いたことで、

読者の方から「武士の“恥”に命を懸ける生き方に深く考えさせられました」というコメントをいただいた。

 

そのコメントを読みながら

『恥じることをする、恥辱をうける、恥をかくなど「恥」を基準にして、昔の日本人は生きてきたのだと思います。「恥の文化」ともいうべき精神文化を日本人として受け継いでいきたいと思います。』と私は返信した。

 

 

そして、コメントを受けて、「恥」についてもう一度考えた。

この「恥」を基準にして生きていくことに対して、まさに反対の生き方は「損得」を基準にする生き方だと思う。「恥」を基準にする場合は損得を抜きにして判断・行動することになるが、「損得」を基準にする人は「恥」を何とも思わないで、判断・行動する。破廉恥なことを平気でやる。

 

私たちが現代社会で生きていくには、個人として幾らかのの財産が無ければ不安だし、損得勘定無視ということはありえない。

 

人間社会には損得勘定によって判断・行動することも多々ある。私など損得勘定だけで判断・行動しているかもしれない。「恥」と「損得」をいろいろと考えていたら、かつて、損得勘定を無視した清廉潔白な政治家が日本にいたことを思い出した。

 

その清廉潔白な政治家は松村謙三氏である。

松村謙三氏(1883〜1971)は明治16年1月24日生まれ。富山県砺波市出身の政治家である。富山県議を経て、昭和3年衆議院議員に初当選(当選13回)。戦後、厚生大臣、文部大臣、農林水産大臣を歴任。農林水産大臣として農地改革を推進。その後日中友好に尽力した。昭和46年8月21日死去。富山県出身。早大卒。

 

松村謙三氏は終戦直後の幣原内閣(1945年(昭和20年)10月成立)で農林大臣に就任すると、国民全員が飢餓状態にある食料問題に直面する。その就任会見でこう所信を語った。「今後は食料を確保して国民生活の安定を図ることが一番重要問題だと考える。農民の勤労意欲を高め、今また農民に増産の負担を強いるには、戦時中圧迫され続け曲げられた気分を元の農民の心に取り戻すのが農政の根本であると考える。農民に安心を与えることである。それには、農地の問題である小作農を廃止して、自作農を創設する。農業の施策を尽くしてこれからの食料問題の難局を乗り切る覚悟で引き受けた。」

 

国民を飢餓状態から救い出すためには、地主制度を廃止してその農地を農民に与える自作農への転換が農村の安定と食料問題解決の基礎を得ることになり、ひいては新日本の安定と繋がり、この基礎の上に日本の再建が行われるという信念のもと法律の改正を図るが、もちろん既得権益者である地主階級の猛反対に直面する。

 

松村の自宅にも毎日毎日、地主たちが何十人も抗議に押し寄せる。代表者を招じいれて「私は日本のためにやるのです。そりゃあんたらの土地は取り上げられるが、それによって日本の動乱を抑えることができるのです。生まれてから死ぬまで小作人小作人、地主は地主というのはもう時代遅れなのです。時代に目覚めてください。」松村が諄々と説いても「そんなこと、聞く耳持たん!」応酬が続く。「みなさんに大きな犠牲を強いて、申し訳ないと思ってます。けれどもこれはやらなければならないことなのです。」「許して下さい。いま、この改革をやらないと、日本の国が大変なことになるのです。」謝りながら、自分の主張を通そうとする松村の背に、地主たちの激しい怒号がとんだ。次々ととやってくる地主たちのデモンストレーションは激しく、ときには松村は生命の危険も感じた。しかし、松村は一歩も退かなかった。難産の末、昭和20年12月28日に「第一次農地改革案」が公布された。

法案が交付されたあと、自宅に戻った松村は家族に言った。「先祖に感謝しなければならないね。自分が地主であったればこそ、がんばることができたんだからね。」

松村は富山の大地主の出身であった。

 

松村謙三氏は1969年86歳で政界を去った。その引退声明の中でこう言っている。

「今回、私は次期総選挙に出馬することを見合わせることを決意しました。この間、選挙区の皆様には、いつも変わらざる手厚いご支援ご同情をたまわりまして、私の今日あるは、ひとえに、皆様のご懇情によるものとして深く感謝しております。この選挙区を持つことにより、私は他事にわずらわされることなく、専心、政治に没頭し、一筋に信念を貫いてやって参ることができました」

これはまさしくそのとおりであろう。

支持者は松村を国会に送っていることに誇りを持っていた。

「松村先生は、そこいらの私利私欲の政治屋とは違うんだ。国のためを思う古武士のような政治家なのだ。落とすと、我々の恥だぞ。」選挙のたびに、このような言葉が支持者の口にのぼった。

 

昭和46年(1971年)8月21日「政治家は一代限り」という言葉を残して松村謙三氏は逝った。

松村謙三氏は「恥」を知る人であったし、また選挙区の支持者もまた「恥」を知る人々であった。

 

参考文献:佐高信著「正言は反のごとし」