ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「葬式消滅」を読む

 70歳を過ぎて自分自身が、葬式で送られてもいい年齢になった。そのような時に「葬式消滅」という本を見かけた。葬式が身近に思える年齢になって、何となく気になり読むことにした。この本の案内には次のように書かれていた。「直葬などの登場でお葬式はますます簡素で小さくなってきました。見送る遺族はお骨を持ち帰らないという葬儀もいよいよ出現。高額な戒名も不要、お墓も不要となってきた新しい時代のお見送りの作法や供養の方法などこれからの時代を見据えた情報を宗教学者が教えます」

 第二次世界大戦終了時の日本の平均寿命は40歳台であった。幼児の死亡率は驚くほど高く、また、戦争だけでなくさまざまな事故や災害によって命をなくすことも多かった。しかし、現在の日本人の平均寿命は男性81歳、女性87歳である。昔は「死は突然やってくる」という死生観であったが、いまは、「死の高齢化」と呼ばれるように、充分長く生きて死を迎えるという人生が多くなった。それと、昭和時代の年間死亡者は70万人だったのが、2030年には160万人を超えると予想されている。いわゆる「多死社会」の到来である。この「死の高齢化」と「多死社会」の到来等が葬式のあり方を変える要素となっているという話であった。著書の中から一部を抜粋する

 「今や、葬式を巡っては一つの大きな流れが生まれています。葬式は不要なものになり、それは墓にまで及んできました。葬式は徹底して 簡略化され、墓を造らないことが常識になりつつあります。それは、葬式も墓もすっかり、時代遅れのものになってしまったからです。また、もう一つ重要なこととしては、死のあり方が大きく変わってしまったことがあげられます。死は以前に比べて重要なものではなくなりました。死によって、その人の人生が決定的に断ち切られるということではなくなりました。人は、年を重ねるとともに、次第に死の世界へ近づき、徐々にそこに溶け込んでいくようになったのです。フェイドアウトしていくととらえてもいいでしょう。死が重要性を失えば、死の後に執り行われる葬式はさほど意味を持ちません。故人と一緒に暮らしてきた家族にとっては、それなりに重い出来事であっても、家族以外の他者にとっては、さほど重要な意味を持たないのです。そこに「葬式消滅」という事態が生まれているのです。今や葬式は、看護や介護の延長線上にあるものだと言えるかもしれません。その終わりを告げる儀式が葬式になろうとしているのです。

 葬祭業者のホームページを見ると、家族葬が主流になり、今ではさらに小規模の家庭葬も増加しています。葬式の縮小化、簡略化と並行して 年忌法要も消滅しつつあります。
 葬式消滅を決定的なものにしたのは、新型コロナ・ウイルスの流行です。密な状態を避ける、あるいは感染を予防するということで、葬式を行うこと自体が難しくなりました。そして、コロナ・ウイルスの流行が収まったとき、従来の葬式のやり方は復活するのでしょうか。それは、かなり難しいように思われます。葬式消滅の流れは、コロナの流行の前から起こっていたことです。流行が、それを加速させたことは事実でしょうが 、いったん、葬式をしないという方向の流れが、再びそれをする方向に舵を切ることは考えられません。重要なことは 、従来の葬式をしなくても、何も問題が起こらないということです。
以前なら、葬式をしないと、「せめて線香だけでもあげさせてください」と言って、自宅を訪れる人たちが現れると言われていました。だったら、葬式をした方が手間が省けるというわけです。しかし、今では、そんな人が現れるとは思えません。多くの人が高齢で亡くなるようになりましたからそれは大往生です。大往生を果たした故人に対して、追善供養を行う必要もなくなってきました。・・・・・・」

 この本を読んで驚いたことは、「0葬」のことであった。「0葬」とは火葬した遺骨を遺族が持ち帰るのではなく、火葬場の方で処分してもらうことである。墓がないなどの理由でそういう申し出があるらしい。確かに、遺骨の埋蔵は墓地以外に行ってはいけない(自宅等に保管するのは可)と法律に定められている。この「0葬」については、西日本では可能だが東日本では難しいと書かれていた。なぜ地域でこのような違いがあるのかはわからないが、地域の習慣なのか地域によって差があるようだ。

 また、その遺骨を自然葬として山や海に散骨したいと考えた場合、手続きするとそれは可能なようだ。自然葬とは海や山に遺骨を撒くことで、撒いた骨が自然に溶け込んで、自然に還っていくことである。しかし、これも少し問題があるようだ。その問題というのは、現在の日本の火葬技術の進歩である。火葬の技術革新とそれを可能にする温度調節の技術によって、遺骨は陶器と同じようにセラミック状態になるように焼骨されているようだ。セラミック状態になった骨は水に溶けたり、土に還ったりはしない。技術の進歩が自然葬の妨げになっているようだ。

これからの日本はさらに葬式消滅の方向に向かうのと並行して、墓所消滅も進んでいくようである。世界的に無宗教の人が増加しているという統計がある。日本においても平成30年の間に仏教信者が2300万人減少し、神道信者も1500万人減少している。仏教においては葬式消滅とともに信者離れが進んでいる。仏教は本来、故人を葬るための宗教として始まったものではない。生きている人間を救うために誕生したものである。葬式仏教から離脱して仏教が本来の仏教に立ち返るきっかけになるか仏教の真価が問われている。
今後、葬式消滅や墓所消滅という方向は間違いなく進むようだ。私は葬儀される方だから何もわからない。事後のことはすべて良きにはからってもらいたいと思う。