武田砂鉄さんの著書「今日拾った言葉たち」を読んだ。この本は、2016年から2022年の間に、武田氏が街中の声に耳をそばだて、拾い集めた言葉について武田氏の思いを記した本である。著書の中には多くの言葉が掲載されているが、その中から気になった言葉をいくつか記す。
2018年「すべての国は、これは自衛のための戦争だというのです」 ピーター・カズニック 米国歴史家 映画パンフレットより
この言葉を受けて、武田氏は、次のように語っていた。「日本の軍備は、自衛という隠れ蓑のもとで増強が進んでいる。別に戦争したいわけではないんです。攻めてきたら大変でしょう、だから、とにかく必要なんですという言い分が続く。どの国もそのように言う。どんな戦争も、それを始める為政者は、止むを得ずに始まったと言う。それしかなかったと言う。自衛という言葉にはぐらかされてはいけない」
私も武田氏に同感である。自民党政権は、自衛のために先制攻撃を認めるべきだとまで言い出した。狂っているとしか思えない。
2021年、「なんで私たちが保育所のフレーム(枠組み)に合わせなあかんねん」ウスビ・サコ 京都精華大学学長 著書『ウスビ・サコの「まだ、空気読めません」 』より。
この本は、マリー共和国出身の著者が日本社会の慣習に疑問をぶつける一冊である。長男が保育所に通っていた頃、親は毎日、朝食に何を食べたかを書かされ、時に叱られたのだという。「パンとヨーグルトとバナナ」と書くと「ご飯と味噌汁を食べさせてください。手間をかけた料理が大切なんです」と言われたそうである。手間をかけられる人もいれば、そうでない人もいる。それに、料理の出来を手間で問うのはおかしい。保育所が各家庭の朝食について手間をかけてくださいねと要請してくるのもおかしい。おかしいことだらけだ。「パンとヨーグルトとバナナ」と「ご飯とみそ汁」の差は何なのか。誰が決めるのか。どうせ大した理由もないくせに、なんとなく申し立ててくるのは何でやねん。なんでそんなもんに合わせなあかんねん。日本人はいつまでくだらない 枠組みを気にして生きていくねん」と書かれてある。
日本人なら、言われたらすみませんと言いながらやり過ごすことがあるかもしれないが、ウスビ・サコさんは我慢ならなかったようだ。私たちの常識は世界の非常識かもしれないということを考える機会になるかもしれない一冊である。ぜひ、読みたい一冊になった。
2022年、「誰かを殺したい」と口にする人がいたら、臨床現場では、「助けて、と言っている」と受け取ります 。長谷川博一 、公認心理士
大阪の心療内科クリニックで起きた放火事件など、無関係な他人を巻き添えにして命を絶とうとすることを「拡大自殺」と呼ぶようだ。そのような事件が起こると、死ぬなら一人で死ねよ、という声が私たちの社会には広がっていく。あまりにも乱暴ではないか。「一人で勝手に死ねよ」は解決を遠ざける。残念なことに「死刑になりたかった」という動機で犯罪に手を染める事件も後を絶たない。そのような事件が起こる前に、生きることを諦めたくなってしまったのはなぜなのか、SOSを聞き取ることはできなかったのか、助けて、という声に気づくことはできなかったのかと長谷川氏は言う。私たちは、安全な社会をつくるためにと言いながら、逆に、犯罪者を確実に増やし続けているのではないかと思った。
2022年、「日本復帰50年というクソのような節目に沖縄で起こっていること」目取真俊 作家 ブログ
「沖縄が本土復帰を果たしてから50年の節目を迎えた。節目とは区切りを意味する。では、今回の本土復帰50周年は一体、何の区切りなのだろう。沖縄の基地負担率は減るどころか増えている。沖縄県民が辺野古移設反対の民意を何度示そうとも、政府は無視を決め込んでいる。力で押し切ろうとする。沖縄経済は基地がないと回らないと思い込ませる。実際には基地の存在自体が経済成長 阻んでいるというのに、毎年のように振興費を減らしながら揺さぶってくる。金をやるから黙ってろよ、と国が言い続けている。黙りませんと言っても、無視し続ける。そして、節目にだけ本土の偉い人間がやってくる。寄り添うと言ってみる。あるいは、沖縄の成長なくしてと言ってみる。言ってみるだけだ。そんな気はさらさらない。支持率の動向を気にしながら、どのように沖縄に押し付けるかを考える。押しつけないという選択肢はない。それなのに、節目とは何事か。ウクライナ進行後 、核共有論や軍備増強の話が盛んだが、もし日本が狙われるとしたら、アメリカ軍基地が多くある沖縄になる。なぜ そのリスクを減らすための話にはならないのだろう。節目を祝っている場合だろうか。クソのようなという言葉がふさわしい」
目取真氏のブログに同感である。寄り添うと言ってみるだけで、そう言う気持ちは微塵もない。沖縄の民意を実現するには自民党政権を倒すしかない。
いろんな言葉を武田氏はひろっていた。ここでは、同感する言葉をいくつか記したが、政治家の同感できない言葉もたくさんあった。次の出版も楽しみに待ちたい。