ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

沖縄の皆さん本土からごめんなさい

「沖縄の皆さん本土からごめんなさい。名護市辺野古の新基地建設に対する抗議行動を嘲笑したひろゆき西村博之)氏の言動を受け、RKB毎日放送(福岡市)の解説委員を務める神戸金史さん(55)が11日、同局のラジオ番組で米軍基地の集中や沖縄戦琉球王国時代の武力による併合などに触れ「ごめんなさい」と発言し反響を呼んでいる。」というニュースを読んだ。

 記事によると、神戸さんはネットでの議論が抗議の背景にある基地問題ではなく言葉の定義などに集中する状況を「不毛」と指摘。米軍基地の集中による事件、事故が繰り返される中、新たな負担となる新基地への抗議をあざ笑う言論を「揶揄(やゆ)するのは無神経だ」と批判し、歴史を踏まえ「沖縄の皆さんに本土からごめんなさい」と20分間の放送で何度も発言した。そして、番組の最後に放送した中島みゆきさんの楽曲に触れ「『ファイト!闘う君の唄を闘わないやつらが笑うだろう』という歌詞と同じ気持ちです」と語ったと書かれていた。

 私も、名護市辺野古の新基地建設に対する抗議行動を嘲笑したひろゆき西村博之)氏の言動にとても違和感を感じ、憤りさえ感じていた。沖縄が直面する基地問題において、沖縄への基地集中を許しているのは日本国政府であり、沖縄基地問題はそれを許している本土の人々の問題であるもかかわらず、それを問題にせず「沖縄のやり方がおかしい」と批判しているのは、明らかに悪意を感じる。さらに、ネットには「ひろゆきよく言った」という書き込みさえもある。反対意見はあってもいいだろう。しかし、なぜ本質的問題に答えないで嘲笑ばかりするのか疑問に思っていたが、神戸金史さんが語った「『ファイト!闘う君の唄を闘わないやつらが笑うだろう』という歌詞と同じ気持ちです」ということを聞いてある意味納得した。権力に立ち向かう時、権力に迎合して嘲罵したり嘲笑したりする人間はどこの世界にも、いつの時代にもいる。それに負けないでという応援歌が「ファイト」である。

 ジャーナリストの伊藤詩織さんが元TBS記者の山口敬之(56)に性被害を受けたと訴えたときも同じだった。伊藤さんの事件は、伊藤さんが警察に相談し、逮捕状の発布までされていたのに、執行直前に山口逮捕が取りやめになった事件である。強姦犯である山口は当時の安倍首相や菅官房長官に最も近いジャーナリストとされていて、「安倍さんの太鼓持ち」とも言われ、安倍さん礼賛本と言われている著書『総理』を書いた作家であり、そして逮捕状を執行直前にもみ消したのは当時の安倍内閣菅義偉官房長官の秘書官をしていた警察官僚の中村格氏である。そして、その功績を認められたのか中村格氏は警察庁長官にまで大出世した方である。(安倍晋三元首相の銃撃事件で辞職)

  そのような被害を訴えた伊藤詩織さんに対して、ネットやSNS上で激しい中傷や嘲笑などバッシングが激しく起こった。同じである。権力と闘う人の前には、必ず権力に迎合する輩が出てきて嘲笑を浴びせるのだと思った。


中島みゆきさんの「ファイト」を久しぶりに聴いた。社会の不条理、不正、いじめなど様々な圧力に屈することなく生きていこうとする人たちへの応援歌である。この曲は中島みゆきさんがラジオ番組を担当している時に視聴者からの便りをもとに作られた曲と聞いたことがある。また、このファイトは「ゲンキイッパツ、ファイト」という元気に溢れたファイトでなく、打ちしおれる中、大きな声にはならないような最後の気力を振り絞るような「ファイト」ですという話を聞いた覚えがある。打たれても打たれても立ち上がり、最後の気力をふり絞って立ち向かわなければならないときもあるとこの歌は教えてくれているような感じがした。大切にしたい曲である。

暗い水の流れに打たれながら
魚たちのぼっていく
光ってるのは傷ついて
はがれかけた鱗が揺れるから

いっそ水の流れに身を任せ
流れ落ちてしまえば楽なのにね
痩せこけてそんなに痩せこけて
魚たちのぼってゆく
ああ小魚たちの群れキラキラと
海の中の国境を超えていく
諦めという名の鎖を
身をよじってほどいていく

勝つか負けるかそれはわからない
それでもとにかく闘いの
出場通知を抱きしめて
あいつは海になりました

ファイト!
闘う君の歌を 闘わない奴等が嗤うだろう
ファイト!
冷たい水の中を ふるえながらのぼってゆけ