ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「なぜ日本は原発を止められないのか」を読む その1

「なぜ日本は原発を止められないのか」を読んだ。冒頭、著者の青木さんは次のように述べていた。
日本政府と東京電力は2015年に、「関係者の理解なしには、いかなる処分も行いません」と 文書で福島県漁連に約束した。漁業者や市民は約束を守るよう繰り返し訴えてきたが、政府は2021年4月に海洋放出を決定した。それでも政府はうわべだけで、「約束は守る」との公言を繰り返した。さらに、西村康稔経済産業大臣は2023年6月10日にも「約束は守る。漁業者が不安に思う以上、丁寧に説明する。私の責任だ」と言っていた。しかし 結局、政府は、県漁連が納得しないまま、反対したままにもかかわらず、8月から海洋放出を開始した。
海洋放出する水は、原子炉等規制法上でいうところの「液体状の放射性廃棄物」であり汚染水であるが、それを、政府は「ALPS処理水」と名付けてその性質を分かりづらくしている。そして汚染水という言葉を使うとネットで非科学的とか風評被害を増長するとか批判されるようになった。

漁業者は言う。「約束違反は約束違反です。漁業者のほとんどがそう思っています。それに東電が被害を賠償すると言ってますが、これまで東電が多くの賠償を拒否してきている中で、今度はきちんと保証されると誰が思いますか?海洋放出と関係ないと言って賠償をはねるでしょう。決めたのは官邸ですが、被害を被るのは、我々です」

恐ろしいのはこの海洋放出が「排出の始まり」に過ぎないことだ。複数の原子力推進の専門家が「これぐらい処理できなければ先に進めない。もっと放射線量が高い廃棄物が山積みしている」と話す。元原子力規制委員会委員長の田中俊一 氏は、トリチウムの排水は、福島第1原発のリスクでは一番小さいリスクです。そういうことができないようでは第一原発の廃止というプロセスをたどれなくなる」と述べている。

そして、水の次は土だ。政府は除染作業で取り除いた汚染土を全国で利用する方針を決めている。原発からセシウムなどの放射性物質が、畑や住宅街に広く飛散した。作業員が袋に詰めた土は、福島県内のものだけで1400万立方メートルにものぼる。その汚染度の行き場がないとして、政府は全国の農地や 道路に使おうとしている。放射性物質の扱いの基本は「閉じ込め」だ。にもかかわらず、閉じ込めたはずの土を袋からわざわざ出して地面に盛り、汚染されていない土を50cm 程度かぶせて使うという。
政府はこの土を、除染土壌と言い出した。報道でも除染土という表現が目立ってきた。除染土と言うときれいにした後の土のように聞こえるが、実際は汚れたままの汚染度である。これも、すでにネット上では、汚染土は事実と異なる呼称と批判潰しがされるようになってきた。海洋放出している放射性廃棄物を汚染水と呼ぶと言葉狩りが行われ批判されるように、汚染土もまたネットで 言葉狩りの対象となりつつある。本当のことが伝えられず、伝わらないようにされている。

さらに、私たちはいつまでつけを払い続けるのか。東電と政府が一体となって原発を推進し、原子力村の人々が安全規制をずさんにしてきた結果、事故が起きた。それなのに政府は、東電の「当事者負担の原則」をないがしろにし、事故処理に関わる莫大な金額を私たち国民に押し付けている。なぜそこまでして東電をかばうのか。「重大な事故が起こったときには電力会社の負担の一定額以上は免責されるというカラクリがある。東京電力は、事故によって生じる負担額を免責され、それを賄うのは納税者である国民である。この事実だけでも、日本国民がこぞって 原子力エネルギーの排除を要求するのに十分な理由となる。政府は、原発を危険なまま推進してきたつけを国民に払わせ、払い終わるめどもないのに、事故後わずか12年で原発を活用する方針に戻した。しかも、従来から最大の課題と言われる「核のゴミの処分場がない問題」はいまだ解決されていない。

この原発問題で、司法は国民を守ってくれているだろうか。最高裁原発事故の国の法的責任を認めなかった。元福井地裁・裁判長の樋口英明氏は「ひたすら国を勝たそうとする強固な意思しか見受けられない。内閣が、政権に近い法律家を最高裁判官に任命する傾向が強まってしまっている」と嘆く。


政府が原発に回帰する一方で、日本の再生可能エネルギーの技術開発や普及のスキームは、各国に遅れを取っている。日本は1993年から国家プロジェクトとして、「ニューサンシャイン計画」を進めていた。革新的技術の開発を目的として、石炭液化、地熱利用、太陽光発電、水素エネルギーの技術開発に取り組んだが 、2000年に終了した。プロジェクトにかかわった官僚は、「原発のために予算を削られ、部署ごと潰された。日本の再エネ技術は世界一だった。続けていれば今も世界一だった可能 性がある」と悔しそうに語る。太陽光パネルのシェアはかつて日本が世界トップで、2005年には5割を占めたが、2008年に中国に抜かれ、2020年には中国製のシェアが7割で日本製のシェアはわずか 0.3%に沈んだ。太陽光だけでなく、他のエネルギー開発の国家プロジェクトも、原発に注力するとの理由で潰されていったと研究者が語る。

政府が原発に回帰する中で、電気は余り、大手電力が再エネ事業者に発電を抑えさせる出力制御が頻繁に行われるようになった 。2023年4月から9月には194回の出力制御を行い、最大で1回あたり原発3基分に相当する約287万 kwを抑制した。再エネが無駄になり業者らが経営難に陥ると困惑している。

原発を続けるということは事故の可能性を抱え続けることを意味する。事故をひとたび起こせば取り返しのつかない事態を招くにもかかわらず、原発はなぜこうも優先されるのか?原発は理不尽なことばかりを国民に押し付ける。その原子力ムラの権力は強大で手のつけようがない感じさえする。この著書はその正体を、歴史を俯瞰して解き明かそうとしたものである。じっくり読み解きたいと思った。